2026/10/12

ピアノに行く。いつもは2週間に1回なのだが、うまくスケジュールが合わず今回は1週間ぶり。全然上手くいかず。練習量も足りていないのだが、弾くメロディと楽譜とリズムが全然うまくマッピングできていない。ボコボコにされたわけじゃないが、気持ち的にはボコボコに。ジャズボーカル聞いて、歌で歌えるようになってきて!など、いくつか宿題を頂戴する。あとはアドリブが漫然としていて、意志を持ったものにしてほしいなどのフィードバック。もっと一つのフレーズに執着して!と。メロディは自分が表を弾いているのか裏を弾いているのか、瞬時に分かるようにして、など。強くビートを感じていないとすぐにシンコペーションに演奏が持っていかれる。課題しかない。今がピアノ初めてから一番壁を感じている。平日もっと練習量無いと今月は厳しそうだ。

本当はピアノに行く前に台湾朝食を食べようと思っていた。長らく行きたいと思いつつも、朝余裕を持って行動できない人間のため、気づけば4,5年ほどの月日が経過していた。結局今日も無理だった。しかし、昼に食べれば良いのでは?と開き直り、ピアノ帰りに飯田橋へ行く。各メニューが何を意味しているのか、ピアノで頭がいっぱいの私には理解できず、とりあえず一番上のセットメニューを頼む。朧豆腐inスープwith揚げパンのようなもの、卵が薄い生地に包まれているもの、搾菜と甘めの揚げ物が挟まったおにぎりハーフサイズ、パイナップルケーキ。いや、多いて!台湾人は朝からこれ食っているのか?胃が強すぎやしないか?

豆腐は、味が穏やかで主張しない味、私は決して主食ではありませんよという仕上がり。しかし、スープが染みた揚げパンが「主食の顔という一面もありまして・・・」と囁いてくる。そして、シンプルに量が多い。生地に包まれた卵は、これまた穏やかな味付けだが、卵の味はしっかりと主張してくる。これが食べやすくて一番好きだったかも。おにぎりは、とにかくヘビー。中に入っている謎の揚げ物、もしかしたらこれも揚げパンだったのかもしれないが、着実に腹にしっかり溜まっていく。でも味がすごく濃いわけではない。なのに、とっても重い。パイナップルケーキも、油がしっかりしていてやっぱり重い。全体を通して、主張しない味付けなのに、物量と油脂のせいで物凄くお腹いっぱいになる。なんだこれ?

このあと、お茶飲んで積読でも消化しよ〜と思っていたのに全然そんな気分ではなくなってしまった。こんなにエネルギーを摂取してしまったら、動かざるを得ないじゃないか。冷たいコーヒーなんか飲んでしまった時には、胃腸の中で冷えゆく油脂を想像してしまい、気分が悪くなるだろう。そしてなるほど、朝から辛いものや味の濃いものは辛いですよね、でもしっかり食べないと、暑い土地で朝から働き続けるのはしんどいですよね!というのが台湾朝食のコンセプトなのかもと思った。知らんけど。

上京して10年、いまだによく分からない土地こと飯田橋でどうすべきか悩み、岡田悠さんが開発した「Dokoka」を起動して、フラフラ歩き始める。矢印の方向に向かうと、白百合学園の校舎が出てきた。ラッパーのMarukidoってここ出身なんだっけ、とか思い出す。塀の高さに母校を感じる。そこを通り過ぎると、知らないでかい神社だか寺だかが急に現れ、そしてその中に向かえ、とアプリが言うので中に入ると「靖国神社」の文字が現れた。あ、これが靖国神社!?と新鮮に驚いた。思想も信仰も無いので何も知らなかった。全員、門の前で一礼するので、とりあえずしておいた。この後怪我したり事故に遭った時に靖国の呪いか〜とか思うのも何だか嫌なので。そして、アプリに灯篭の前で写真を撮らされる。クリア。

広場で小笠原流?弓道?をやっていたので眺める。草鹿式?とか書いていた気がする。おもちゃのような鹿の的に、射手が一人一人、矢を打っていく。良い当たりだったのでは?と思っても的奉行が「いやいや、ちょっと審議だな〜」と言って射手が「ええ当たりだったでしょ!」「ほな、当たりにしとくわ」と古語でやり取りをしていて、茶番だな〜と思った。逆ドパガキの遊びである。2026年に「XXで候」とか言う必要あるか?別にそこに風情はなくない?と思った。とはいえ、上手く当たってもいちゃもんを付けたりする意味のわからなさを私はとても楽しんだ。

一応、境内の靖国神社の思想についても一瞥。比較的近年作られた石碑だった。私はその筆致が平和を希求する上での建設的な主張とは全く思えず、思想が合わないことを確認。地に足がついていて、人類への愛があればこのようなことは書かないであろうと思った。これは私が西洋的な哲学や政治観や人権意識に依っているのが大きいとは思う。

早々にそこを後にして、1.5時間程度散歩。お堀の内側をうろうろ。

本人はそんなことは言っていないが、恩師の声で「こんな都心に皇居なんてものがあるのが烏滸がましい、ここを潰して住宅街にすればもっと都内の家賃が下がって色んな人が助かるのではないか」という文章が再生される。いかにも言いそうだ。気がついたら竹橋に。暑いし散歩に飽きたので、電車に乗って気がむくままに移動。気がついたら自宅近かったので、さっさと帰宅。10月なのに日焼けしてしまった。ピアノをゴリゴリに弾き、統計の勉強までした。人生をやれている。2020年〜2025年はなぜ健康を害するまで働き続けたのだろう、と思うが、何だかんだコロナ禍が直接的に、間接的に私の頭をおかしくしたとしか思えない。元々そういう才能もあったと思う。自分には仕事しかない、と思っていた。実際私は仕事で成果を残すのだという気持ちは人より強い。しかし、あれは仕事に喰われていた、というのが正しかったように思う。より強い敵を求めていた。結果これだが。まああの頃に無理して色々頑張ったことは良かったんでしょうね。このへんまでは何とかなるという自信とか、逆にどうにもならないことがあるので適宜諦めようとか、人に優しくするとか、人間って基本無能で無力なんだとか、こうすれば自分は壊れるんだとか。2024-2025年あたりはどう考えても解離気味だったが、今は身体感覚が戻ってきて世界もクリアに見える。実は、しばらく食べ物の味もしていなかったんだということに最近気がついた。

2026/10/09

今週の感想、エグつかれた。イカれた9月の天気の反動なのか体調が優れず、夫不在(途中で帰ってきた)という精神的に圧倒的に不利な状況の中、期末にギリギリねじ込んだ仕事、その後始末など、冷静に考えると2,3週間くらい量・質ともにこなしている。質の方がやばい。AIの力で働き過ぎている。コンテキストスイッチと意思決定の量が爆発している。その癖本質的なことを考えなくなり品質も下がっている。これはよくない。疲れてくると、働き過ぎないようにしようとか、タスクを先送りにするとか、そういうコントロールが効かなくなってきて加速度的に仕事量が増える(増やしているのは私)。昨日相棒に「全然さいきんヒリヒリしないんだよね、ヒリヒリしてえー!」と言ったが、めちゃくちゃヒリヒリしにいっていた。来週出社したら自分で勝手にタイトにした締め切りを伸ばしまくる。

疲れているせいか、なぜか流れてきたオモコロのMADを開いてしまい、そしてエネルギー量の大きさに爆笑した。こういうのか、ハリウッドザコシショウでしか笑えない時がある。YouTubeを開くたびに何故かトップに表示されるので月曜日から毎日見てしまっている。自分が中高生くらいの、しょうもないインターネットの残滓でしか得られない栄養。私はミミズ以下。

金曜日は本来は家で働く日なのだけど、野暮用で出社。へろへろで退勤したが、そういえば前の会社は金曜は数少ない出社日で、夜は大体同僚とカレー食ったり吹き溜まって仕事の文句を延々と言ったりしていたなと思って寂しい気持ちになる。今は飲み会の少ない会社に居るので誰にも誘われないし、彼らと喋りたいともあまり思えない。2km歩いて前のオフィスに行けば誰か捕まるのかもしれないなと思いながら、風が冷たいことに気づいて、いや疲れてるんだから帰れよともう1人の自分が正しすぎることを言うのでまっすぐ帰宅。辞めてから毎月、元同じ部署の人たちと会ってたが急に会わなくなった。今思うとこいつまだ戻ってくる可能性があるぞと思われており、懸賞首になっていたのかもしれない。リファラル採用的な意味で。だし、もはや地獄を抜け出して仕事を楽しんでいる私と喋りたいことなんて無いかもしれない。私も元上司の悪口以外喋りたいことは思いつかない。結局、仕事以外の部分でつながるのは難しいんだなと思う。みんな、仕事人間だったし、何が好きなのかよくわからなかったな。


DISCO FLIGHTの歌詞、「窓から見えるの世界の配列」、初めて聞いた当時も印象的な歌詞だったけど、今は凛として時雨の曲の中で一番美しい歌詞かもしれないと思う。当時は「配列」という言葉の正しい意味がわかってなくて、プログラミングを始めてから意味を理解して、そこから歌詞の意味をリフレーミングするのに8年くらいかかった。あのディレイがかかりまくったギターリフのあとに乗ってくる言葉がそれって、改めて考えるとショッキングだ。夜、ガラガラの電車で窓を眺めて世界の配列、と思った。

大人しそうな3人が平然とやばいテクニックで淡々と演奏していて衝撃を受けたな。もう20年経ってしまう。怖すぎる。20年間同じバンドの話させるな。


好きな人の好きな人を紹介してもらったのが今週とても嬉しい出来事だった。嬉しくて、色んなことを感じて、書こうと思ったけどあえて言葉にしたくないなと思った。澄んだ空とビル風がきらめいていて、幸せな夜だった。へとへとな今週の私の心の清涼剤になったし、一晩経ってもまだ瞼に浮かべては幸せな気持ちになっている。

2026/10/04

久々に夫のいない週末。土曜、朝、夫を送り出して、二度寝して、家事を片付けて甲状腺の病院へ。毎回採血をしてくれる看護師が違う。スポットで集めているのだろうか。8月に採血した結果を教えてもらい、まだまだ異常値だが、1月の1/6になっていることを教えてもらった。よかった。それでもあと2年は薬を飲まないといけない。なげーーー。2年。2年前っていつだろう、と思ったらちょうど耳が聞こえなくなった時だった。まだ2年なのか、4年くらい経ってるかと思った。そう思うと、すごかったな。この2年は。いったい、2年後の私はなんの仕事をしているだろうか。いまの仕事を楽しく続けられていれば幸せだな。AIで世界が滅びていたりして。

血が抜けてややふわふわしながらカフェに行き、2月に買って積んでいた本を読む。100/400ページ消化。よくやった。最近は読みづらくて心が折れそうになっても「でも、これを乗り越えたらすごく嬉しいんじゃないだろうか」と想像できるようになって、挫折しにくくなってきた。このテクニックって多分昔からある気がするけど、10代の自分には全く効かなかった。しゃらくせー、とも思っていたけど、嬉しいとか達成感とか本当によく分からなかった。嬉しいとか楽しいとか自分の感情に明確に名前をつけられたのは確か22歳の時にTKのアコースティックライブ見た日じゃなかったかな。嬉しいとか幸せとか思わなかったわけがないんだけど、精神的に潔癖症すぎて、ネガティブな感情以外を素直に受容できなかった。自分は苦しむべきだと思っていたので。堕落したくないから。まあそれは今も少し思っている。あの時に嬉しい、と思った瞬間に精神の逆流を感じたし1ヶ月寝込んだな。今は全然嬉しいし、楽しいし、それでもダメになるわけではないってわかる。

カフェがガヤガヤしてきたので脱出し、近所のイタリアン(美味すぎる)でパスタを食べて帰宅。4時間ほど記憶を失う。放置していたアプリのことを思い出して、App Storeに審査を出す。12時間後、実機テストして画面録画添付しろ、という内容のリジェクト通知が来る。むかしはそんなこと言わなかったじゃない。

6.5時間ほど寝て、起きる。

ピアノに行く。昨日うまくいかなかったところが、少し弾けるようになっていた。しかしリズムの捉え方の矯正が要るねとひたすらにリズム練習。日本人らしい悪癖が染み付いているようだった。クソが。しばらくJPOP禁止することにした。私の趣味は1人でカラオケに行くことなのだがこの1ヶ月はそれも禁止する。うっかり行きそうだな。先生が、音楽はデフォルメされた自然言語だと言っていた。なにそれ。すごくないですか。良い音楽にも、悪い音楽にも感じると。ジャズにも関わらず演歌的になってしまっているインプロビゼーションも日本語由来を感じる、とか。あらゆる楽器は歌には勝てないとも言っていた。

あまりにも特訓したので、脳がパンクしそうになりながら美術館へ。ソットサスと瀧口修造。すでに今日の情報量を超えていて、瀧口修造までは全然集中力が持たなかった。詩がすごい良かった気がするが目が悪くて途中で読むのを諦めた。あとでパンフレット読んだりして浸る。

ソットサスはとても良かったという気持ちと、デザインってなんだろうなと言う気持ちと。最初の職場でデザインとは何かということに私なりに向き合って、やっぱりデザインは合理的で、ユーザーの最大多数の最大幸福を実現するための手段であるべきじゃないかと思っている。Webの世界なら、デジ庁であったりエストニア政府のデザインガイドラインが至高というか。多分、狭量なのかもしれない。それ以外のものはデザインの外の話で、例えば趣味的であったり無駄なこととか、装飾的なものは、アートの仕事だなと思う。否定しているわけでなく、それをデザインと呼ぶことに違和感がある。まあ、今回の展示で使われているデザインという言葉は、産業で意識されて使われている言葉とは違って、もっと一般的な、日本社会で使われている広義の意味のデザインなんだろうけど。うーん。でも展示側がデザインという言葉にあまり自覚的じゃないなと思った。ソットサスもこの作品に対してデザインって言葉を使ったのかなあ、とか。

例えばこのタイプライターとかはすごく「デザイン」されていると思った。無駄がないので、消費者がより安い価格で、魅力的なものを手に入れることができる。

でもこのチェストは空間を掌握するだろうけど絶対使いにくいしデザインされているとは感じない。非合理的だから。とてもじゃないけど、タイプライターの延長線上にある仕事とは思えないというか、別の発想で作っているとしか思えなくて。明らかに、ふざけているか、ムカついていないと作れなくない?

その当時のブルジョワジーだとか「上品さ」に対するカウンターカルチャーなんだということは理解するけど、今の時代を生きている私からすると、こっちの方がブルジョワジーを感じる。デカくて、不要で、素材も潤沢に使っていて。無印良品の逆。北欧の、暮らしへの切実さから生まれたデザインとあまりに対極で、これはイタリアでしかできないだろうなとも思う。イタリアって寒さとか飢えとかで死ななさそうじゃん。何ヶ月も雪の中に閉じ込められるとか無いだろうし。そういう贅沢さを感じた。本当であればもう1回行って振り返るんだけど今日までなのが悔やまれる。

あと、これがすごい良かった。


一人だと寂しいなと思って色々詰め込んで、一人の時間って最高、って思ったけど、もうお腹いっぱい。2日間たくさん歩いて疲れていて、疲労した体に孤独が染みる。

2026/10/01

突然の飯テロ失礼します。

だいすきなおともだちがお寿司をご馳走してくれた。先月誕生日だったため。と〜ってもうれしいね。ありがとうねーごちそうさまでした。

お高い雰囲気と味でずっと店の中でも会社に戻ってもあたふた、ふわふわしていた。家に帰って急に現実に帰ってきた!と思った。

現実に戻って今までで1番美味しい寿司だったかもと思った。おいしい、の持続力がすごかった。普通のお寿司がうまーだとしたら、うま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜って感じだった。バカすぎる???私が食べてきたのって、寿司だったのかなー。私これからスーパーのパック寿司で満足できるかな。左隣の人たちが常連って感じだったけど、確かにこれは通う〜と思った。何か理由をつくってまた来よう。仕事で何かをぶち上げてみたりして。

今週はずっと、未来のことを考えていて、今日はすごく納得感があって現実的でなおかつチャレンジングなものが見えて、全てがうまく行く気がしてきている。あと、今日は会社でおじさんが暴れていて私も暴れたくなった。最後少ししゅんとしてたのを私は見逃さなかった。最近謝れるようになってきてえらい。一方そいつのお気に入りは謝るべきところで謝ってなくて私は5ヶ月くらいムカつき続けています。昨日も謝ってなくて、ださかった!私は高潔でありたい。

2026/09/27

微熱が下がらない。火曜日にしっかり散歩した後に、うっすら寒気がするなあ、と思っていたが思えばそこからずっと微熱があったのかもしれない。なんとなく仕事の集中力が低いな、と思って金曜の夜に熱を測ってから37度前後をうろうろ。特別どこかがしんどいでもなく、強いていうならアレルギー性鼻炎がひどいなくらいで。ただじっとしておいた方がいいのかなあと思って夫がファイアーエムブレムをやっているのを横で眺めてみたり、ゲームの画面を見るのに飽き、本を読んだり、寝たり、ピアノ弾いたり、寝たり。あと勧められていたBlack Mirrorを見た。面白すぎる。くだらなさが絶妙だった。ちまちま見る。

こうして家でダラダラ過ごした結果まだ37.2度。気持ちの問題だろうということでしばらくは無視することにした。

あとはずっと後藤真希の昔の映像を探して観ていた。エンタテイナーとして1番好きなハロプロアイドルは後藤真希かもな……歌単体、ダンス単体だともっとスキルフルなメンバーは居るけど、総合力で勝てる人がいない気がする。

ライブ映像が無断転載ばかりで引用するのもどうかなと思い控えるけど、ライブはもっと迫力がすごい。生歌のやつがとんでもない。この公式MVも十分とんでもないのだけど。こんなに踊れて歌えて表現力ある日本の女性歌手ってあんまりいない気がする。それにしてもリズム感どうなってるんだろう。この人のグルーブの作り方がすごく好みなのかも。天才的でもあり努力の痕も感じて尊敬する。

この曲、音作りがガチすぎてつんくの作曲の中で5本指に入るくらい好きかも。編曲もディレクションも素晴らしい。世界観のせいで好きと言いづらい。

つんくの名曲といえばの流れでこれも聴いてる。衣装もヘアメイクもひどすぎる。これもライブ映像がすごい。30年近く前にこれやってるのすごい。時代を先取りしすぎかも。

「季節のせいならずっと終わらないこの季節のままがいい」って歌詞を初めて聴いた時良すぎて衝撃を受けた。

2時間くらいかけてだらだら書いたけど、まだ37度だ。