日曜月曜と東京に行った
月曜のことはまた書くとして、日曜に大学の先生と会って喋って色々思い出したので書くとする
めちゃくちゃまじめなことを書きます
私の人生における様々な出来事でインパクトの大きかった出来事はリーマンショックと東日本大震災だった
それまで工学部に進学するつもりだったのだけど、政府対応や経済的打撃を受けた人に対する対策とか、負の経済効果を中和させてるようには見えない国の対応だとか、
そして今まで目先のことだけで政策を作り実行してきた愚かさが露呈して本当にショックだった
直接被災こそしなかったが私も間接的に被災して、苦しい経済状況の中大学にいくことになった。
高卒で就職するとか、地理と理科系科目が好きだったので気象大学に進学して、給与を貰いながら日本の防災に貢献するための勉強をしてもいいかな、とか思いながら、私は経済学部に行くことにした
大学院までいって経済政策を学んで学者になりたいと思った。
あと地方分権を学んで、もっと日本の各々の地方にあった政策とか、建築だとか防災だとか、税金の取り方・分配の仕方、保険制度だとか、地方で出来るようにしたいな、とか色々希望があった。
今の日本のままじゃダメだこの国は生き残れない、中国に攻められる間も無く滅びると思った。
大学入って1年目は商店街の活性化に関する授業を取った
それは週1で商店街やそこを取り囲む地域に出て、色々感じ取るという活動だった
まあそこで感じたことの詳細は省くけれど、そこで生活する人の生への欲求の低下や、
国が、行政が、誰かが、何とかしてくれるという気持ちや、色々な物が渦巻いていて、
その時はあまり本質が見えなかった
2年目での先生との出会いが全てを変えた
学者になっても世界は変わらない、国が、国会が、といってもその構成員を選んでいるのは言うまでもなく私達である、
商店街が活性化しないのはそこに居る人たちがやる気が無いからだ、とかもう色んなことに気付かされた
現状を見る目が変わった
そんなときに1年のときに聞いた言葉とかがいろんなところでリンクし始めた
子どもたちが安心してくらせるまちだとか
なぜ毎週授業後にSNSでブログを書かせるのかだとか、先生が言っていた教育の話とか
あんな風に言っていたのはこういった現状をふまえて言ってたんだってすべて繋がった
現場にいる人は学者とはひと味違う
学者は学者で仕事してるんだけど、なんでこんな当然のことも分からないんだろう、外に出ろ、外へ。そう思うことが増えてきた
論文書いたって御用学者じゃない限り世界変わらないし動かないし、自分で行動して変えていくのが一番良いなと今は思う
日本いまのままじゃダメだから何かしらモーションを起こして行かなきゃいけない
でもどうしたらいいのか分からなくて
社会運動家?起業家?
まあとりあえず私は奨学金かえすために働かなきゃいけないわけです
この現状打破する前に飯を食わなきゃいけない
いつかそんなこと忘れてしまうのかもしれないね
