まあ全部推測にしか過ぎないんだけれど

いわゆる「意識高い」人たちがいちいち、発展途上国の恵まれない子供達を助けたがるのはなんで?って思ってて、
それに対する私の答えは、「恵まれない子供をほっとくとイスラム過激派みたいなテロ集団に流れてしまって、いずれ自分の首を絞めるようになるから」である。
でもなんか違う気がしてきた。あいつら別にそこまで考えてないんじゃないかと。

意識高い人たちって一般的に親が高所得で、いいとこに住んでて、義務教育を難なく受けれて・・・みたいな感じだと思う。
ホームレスなんて本当に居るのかよとか、まさか「を」と「お」の書き分けも出来ない人間がいるわけがないとか思ってるんじゃないかという気がする。

私の小学校(沖縄のド田舎)は高学年にもなって「を」と「お」、「わ」と「は」の使い方がわかってない子供が普通に居た。音読がまともにできなかったり。子供心に「なんでそんなことも出来ないのかマジ意味分かんねー」って思ってた。
中学校はあんまり覚えてないけど、通っていた中学校が親の教育意欲がやたら高いところで、「それ以前のレベル」みたいな子は記憶にあまり無い。
意識高い人は、きっとそういう存在をあんまり認識していないのでは?
それで純粋にかわいそうという気持ちだったり、商社に入るのに有利そう、とかだったりそういう理由でボランティアとかしちゃったりするんじゃないかと。

んで、ちょっと話が変わって、さっき気づいたんですけど
「を」とか「お」とか、絵本読み聞かせてもらえば、わざわざ授業で習わなくともわかるだろ、なんて考えてたけど、あの子たちはそもそも家に絵本がなかったんじゃないか・・・?
いやいや、でも幼稚園に絵本ありますやん。
でもでも、今記憶を辿ると絵本を自主的に読む子供ってそう居なかった、私みたいに運動が苦手で根暗な人間くらい。
すると、まともに文字に触れるのって小学校入学してから?
それでいて勉強するのが好きじゃないとか地頭が良くないとかだと、文字を見るだけで嫌気が差すんだろうな。
で、文字を認識するので精一杯で、文章を理解するのが困難になる、と。

ここまで9割推測なんだけど、たどたどしく音読をするかつてのクラスメイトたちを思い出すと、わりと当たってるんじゃないかという気がする。推測なんだけどね。
ちなみにここからも推測。

ほんで、親が絵本も買ってあげないような感じだと家で新聞もおろか、ニュースも見ないんじゃないかと。
得る情報量が圧倒的に少ないと、小学校の授業を理解するのも人一倍、人三倍くらいかもしれない、それくらい困難なんじゃないかな。
書き分けが出来るようになって文章が読めるようになっても、周りとの格差を埋めるのって大変だし劣等感にも苛まれるのではないかと。
そりゃあ非行に走りたくもなるよなー 義務教育で終わるよなー
と、川崎の事件の加害者とされてる人たちのツイートを見て3秒くらいでふわっと浮いてきたのが以上です。

意識高い人たちは、そういう子供を見てどういう風に感じるんだろうか、バカだと思うんだろうか、恵まれた国に居てふざけるな、と思うんだろうか。彼らが大人になって、子供を持った時に、「あいつらとは遊ぶな」とか言うのだろうか。言いそうな気もするよね。気になるね。

個人的には子供に罪はないし、なんとかして、他の子供と同じスタートラインに立たせてやりたい。
国籍関係なく、真に自立させるための教育を全ての子供に受けさせるにはどうしたら良いのかと思う。
教育業界は金をある程度持ってる人ばかりをターゲットにしている、営利企業だから当然なのだが。