大学1年の夏休み、長期のバイトを探しながら食いつなぐために日雇いのバイトをしていた。
夕方くらいになると派遣会社から「明日なんですけどぉー、ピッキングのお仕事大丈夫ですかぁ?」と電話がかかってくる。
ピッキングっていうのは倉庫で指定された品物を集めてダンボールに詰めていく仕事で、決して住居に不法侵入するアレではない。
女性はそういった感じの単純軽作業に回されることが多い。顔が良いとスポーツチームの物販に回されるんだが、笑顔がお笑い芸人のバービーに似ている私の行く先は工場や倉庫しかなかった。
その、単純軽作業が死ぬほどつまらない。永遠にこの時間が続くんじゃないか、という気がする。地獄っぽさがある。時間を蔑ろにしていた人が落ちる地獄。
自分のペースでさっさと仕事ができる職場だとまだ良い。最悪なのはベルトコンベアタイプの仕事。機械に自分が合わせていかないといけない。
私の人生で最も辛かったバイト第一位、「ペットフード検品」もベルトコンベアでの仕事だった。
「明日なんですがー、S川さんにはペットフード工場の検品に行って頂きたいです」
「はい(缶とか見たりするのかな)」
「集合場所はI駅の改札で山田(仮名)さんという女性がいらっしゃいますのでその方に連れて行っていただきますので、じゃあそういうことで」ガチャ
翌朝の8時ちょっと前、山田さんを探してI駅の改札周辺をうろうろしていると、それっぽい中年女性を発見。
「あの、山田さんですか」
「そうです、S川さんですか」
山田さんは前歯が全部無かった。
「送迎バス」という名のワンボックスカーに山田さんに乗せられて10分くらい離れた工場に連れていかれた。
駅から離れるうちに商業施設がなくなり、工場だらけの街並みになった。
プレハブの更衣室兼休憩所で、白い制服を支給され、私は食品工場のおばちゃんそのものになった。
ペットフードとはいえ、人と同じくらい気を遣うんだなあ、と驚く。
足を踏み入れた工場はだだっ広く、the 工場 という出で立ちだった。そしてありえないくらい臭う。煮干しとか、牛乳を拭いた雑巾とかの匂いがする。ここで今日8時間も働くのかと思うと不安に襲われた。
バスの中で「山田さんはここは長いんですか」
「そうね、3年くらいかしら」
という会話をきいて、「まともな職場では?」という期待をしていたのだが、あっけなく砕かれてしまった。
「えーっと、では配置についてもらいます、田中さんはA、佐藤さんはC、鈴木さんはEで、山田さんはいつものところ、S川さんはFに行ってください」
Fってなんだ、と思ったが、上を見上げると札がぶら下がっている。レーンの名前らしい。
Fに行くと社員が2人いて、仕事の説明をしてくれた。
「ペットフードの不良品を取り除く仕事です」
「はい」
「ペットフードが流れてくるんで、こういう大きいのとか、形が悪いのを取り除いてください、では」
それだけ?センサーで出来ないんか?
という気持ちを抑えながら業務を始める。
ひたすら流れてくるペットフードを睨みつける。あいつらどういう気持ちなんだろう。
それにしても全然不良品ないんだよ。
5分に1回くらいひょいっ、と手を動かすだけ。
全然時計進まない。音楽かなんかを聞かせてくれ。退屈だ。屈んでいるせいで腰が痛い。そもそも犬が食うんだからいいじゃん。こんなの誤差じゃんね。まだ針が3を指したままだよ。あと6時間と47分?無理やろ〜。
向こうを見ると山田さん缶の検品してる。私が想像してたの向こうのやつだ、あ、もしかして時間がきたら交代なのかな?昼からは向こうとか?!(※違います) あー配置移動楽しみだな!
12時の昼休みには既に思考が停止、空を見つめるだけになってしまった。山田さんの前歯がない理由がわかってしまった。3年もこの仕事を続けたストレスだ。山田さんは前歯のない口でechoを咥えている。
周り見たらみんな死んだ目で空を見つめている。
こんな陰鬱とした職場がこの世には存在するのか、小学生のみんな、勉強をしないとこうなります。Twitterでそう呟いた。
休憩が終わったあとも当然のごとく流れるペットフードを見つめる作業に戻った。時折向こうの山田さんに「代わってくれ!」という視線を送りながら。
おまえはok.ok.ok.ok.ok.ng.ok.ok.そうしているうちに人間としての尊厳が蒸発する音が聞こえた。
内田クレペリン検査のような負荷がもう何時間も体を支配していた。私は誰なのか。この工場の機械だろうか。自我を持った機械なのか、機械を持った自我なのか。そういえば高熱の時に見る夢はこんな光景だった。彩度の限りなく低い工場で、ぼんやりした機械の一部になりながらひたすらベルトコンベアのゴムの前でパーツを分別している自分。あれと一緒だ。あれは予知夢だったのか。おれは人間をやめてしまった。スタジオ代を払うために、翌週に給与が入るというだけで選んだ仕事のせいで!延々と土日祝祭日以外は働き続けなきゃいけないんだ。アー助けてくれよ!!!!!!!!
心の負荷が限界を超え、破裂した時に「はい、S川さんお疲れさまでした」という声が聞こえた。人間終わってしまった。と思ったらどうやら終業らしい。
たった8時間のはずだったのに、何日もここにいたような気がした。そのまま振り返ることなく走って工場を出た。千と千尋の神隠しの世界っぽい、と思った。
制服を返し、業務完了表を記入し、朝来たバスでそのまま駅まで送ってもらった。
I駅に降りた瞬間、私の何かが爆発した。
カラオケに駆け込んで2時間で!と言った。一人なのに、大人数用の舞台のある部屋に通された私は踊り狂った。普段歌わないB’zを歌った。
いらない何も 捨ててしまおう
君を探し彷徨う uh My soul
裸足で椅子を飛び回った。完全にテンションが壊れていた。人としての尊厳を取り戻した私は表現の喜びを噛み締めていた。
僕を全部あげよう~~
これが生きる喜びだ!世界は美しい!空気がうまい!ありがとう地球!
そんな満足した気持ちで家に帰った。ペットフードは、希死観念に苛まれていた私に生きることのありがたさを教えてくれたのだ。
翌日、派遣会社から電話がかかってきた。
「あの、明日なんですが。またI駅のペットフード工場に」「嫌です」
