小保方晴子「あの日」を読んだ

小保方晴子『あの日』を読んだ。
この本は彼女の自伝でもあり、騒動への釈明でもあり、そして暴露本でもある。

あの日 小保方晴子

当時私はSTAP騒動に対して、世間で騒がれているほど興味は無く、「小保方や笹井がああ言った、こう言った」などの詳細は全く知らず、
博士論文が取り下げられたとか、検証できなかったとか、そういった事実の羅列のみを記憶していた。
そして、「小保方晴子という人は不勉強な科学者であり、STAP細胞は存在しない」というのが私の結論であった。
だから最初は「ラクロス部で疲れて研究室で寝てばかりいた」という描写を読んで「やはり」と思ったりした。

騒動に興味の無かった私がこの本を手に取った理由は、人間の弱さを見たかったからだ。彼女のどういった部分が騒動を生んだのかが知りたかった。
私は、誰もが小保方さんになり得ると思っていて、ちょっとした心の弱さや隙がこういった騒動を生むと思っている。自分がそうならないためにはどう生きるべきかを知りたくて読み始めた。

それに対する期待はある程度満たされた。
しかし、それ以上に「あれ、STAP細胞あるんじゃないの?」という気持ちにさせられる衝撃が大きかった。

序盤からSTAP細胞のヒントとなる現象に対する言及や、実験の描写が多く、STAPの研究が思い付きで行われていたわけでは無い、ということが分かった。
私は生命科学の知識は全く無いので、該当部分を理解するのは難しかったが、わかりやすく説明してくれているため、納得しながら読み進めることが出来た。
知識がある人からすれば「これは間違っているのでは?」「不自然だ」という部分もあるのかもしれないが、実験やSTAP現象に関する説明は論理的で、飛躍も無く筋が通っているように感じた。

私は知人から、
「STAP現象は、細胞が死滅する時に放つ自家蛍光という常識的な現象を、不勉強な小保方さんが勘違いして新しい細胞だと思ったらしい」
という話を聞いていたが、それも本の中で否定されていた。彼女は自家蛍光か、STAP現象特有の発光かを観察方法の工夫によって区別していた。
そういった釈明も、後付けという感じはあまりしなかった。私が知識なさすぎるだけで、あと3回くらい読めばツッコミどころが出てくるのかもしれない。

では、科学的にはちゃんと証明できそうな実験がこのような騒動を生んだのは何だったのか。
原因を彼女に限定するなら、資料の取り扱いに対して知識が無かったことやサイエンスのコメントを熟読しなかったこともあると思うが、
一番は「はっきり主張できない性格」だろうか。

若山氏との共同研究で、「自分の研究が自分の手から離れて行っている」という実感があるにも関わらず、「理研で働くきっかけを提供してくれた恩師の期待に応えたい」と、ほとんど若山氏の言いなりになってしまったことが、騒動を起こす要因になったのだろう。だが、職業研究者になって間もない彼女がそうやって主張することは難しかっただろうな、とも思える。

そして、複数の高名な共著者の中で彼女は板挟みになってしまい、責任の所在が不明なまま論文執筆は進み、彼女が関与できない部分も多い中で、研究が世に出ることになってしまった。彼女がもし気が強い性格だったら「これは私が最初に始めた研究です」と言って軌道修正できたのかもしれないが、そうはいかなかった。

論文が世に出てからの描写は、ほぼ当時の釈明と暴露である。
このように報道されていたが、実際はこうだった、こういった発言をしたがカットされた、私は発言を禁止されていた、理研のあのひとが匿名でリークしていた、などなど、それまでの報道に反撃するような内容になっている。
この一連の描写を「言い訳だ」とする人の方が多いと思うのだが、私は「あー嘘じゃなさそう」と思いながら読んだ。嘘にしては詳しすぎると思った。嘘をこれだけ書いたら、若山氏をはじめとした数人から名誉毀損で訴えられそうだ。そんな仕上がりである。彼女は、自身の実験に関して納得できるまで説明できることはしており、若山氏が当時管理していたマウスの系統で自身の技術を用いて再実験すれば、この騒動の真実はもう少し見えてくるのではないか、と思わせられた。
検証実験も、最後の過程は彼女から取り上げたものであり、科学的に検証されたとは言えないものだった。

以上のことから「STAP細胞ありそうだなー」と思ったわけですが、これまるまる嘘だったらめっちゃ恥ずかしい。騙されやす過ぎる。

仮に釈明がすべて後付けで、実際にはSTAP細胞が無かったとしても、この本は小説として十分楽しめる。読みやすい文章だし、無駄に豊かな表現力も見所だ。
日本人にありがちな上司に忠実なタイプの主人公、金と名誉に飢えた若山、スーパーマンのような笹井とその死、暴力的な記者など、彩り鮮やかな登場人物が世の中の理を教えてくれている気がする。
「金と名誉にこだわる人とは距離を取れ」「この業界で偉くなる人というのは堂々としていることではなくて細かな根回しを怠らない人たちなのだと感心しました」(pp.175-176)「論文は時間に余裕を持って提出しろ」などなど、炎上しないための処世術が学べる。

私は彼女の今の病状や奪われたものは、行ったことに対してあまりにも不釣り合いだと思うし、非常に心苦しく思った。友人や恩師を失い、まだ32歳で研究者としての人生を歩み始めたばかりだったのにそれすら奪われるなんて、そんなに「科学への冒涜」は重犯罪なのかと思わざるを得なかった。彼女に、もう一度チャンスは与えられないのだろうか。悲しいがきっと与えられない。
いずれ、STAP細胞の真実が明らかになるその日まで、死なないで信じて生きていてほしい。

これがボロクソに小保方さんのことを叩きそうな私の感想です。

あの日 小保方晴子