不安依存症

昨日バイト中にハッとした。

就活前は「就職できるか、できてもちゃんと奨学金を返済できる会社に入れるか」っていうのがめちゃくちゃ不安で、それを振り払うかのように用意周到に就活をした。
それが解消されたら心身の健康に対する不安と、コントロールの喪失への不安がやってきた。病名がついた。

真面目に大学行ってたのも、「自分は生きていけるのか?」「この国破綻しそうじゃない?」という不安があって、それを解消・防止するためだった。もともと学びたかった工学の道をわざわざ閉ざして文転して、経済学部に入った。確かに経済学にも興味はあったけど、文転の決め手は「不安」だった。望む道に進める喜びよりも、そこで新しく生まれる脅威(金銭的なものや、周りとの競争etc)に勝てる自信が一切なかった。

とにかく、ずっと不安に突き動かされて生きてきた。
思えば、小さい頃から不安を感じやすいタチだった。
駐車場の出庫のサイレンを聞いてパニックを起こして道路に飛び出したこともあったし、保育園では常に「怒られるんじゃないか」と怯えていた。
これは私の生まれ持ってきたものもあるし、1歳頃の発育環境(まあどうしようも無かったんだけど)も原因だと推測される。

周りを見ると、私のように常に不安がってる人はほとんどいない。それに、強迫性障害という病名が付いてしまったわけで、私の不安は不合理なものであると言える。

強迫性障害っていうのは、強迫観念と強迫行為から成り立ってるわけですが、例えば
強迫観念:「手汚くないかな」 強迫行為:何時間も手を洗う
など。これは正確な説明ではないので、詳しい説明は医学的なサイトを見てください。

強迫行為を行うことで、一時的に安心を得ることが出来るんだけど、強迫行為をすればするほど症状は悪化していく。だから、強迫観念が浮かんでも強迫行為を行わないことが悪化させないポイントになる。
だから私は強迫行為は一種の麻薬のようなものだと理解している。
これは医学的に間違った理解だと思うけど、私の頭はそうやって強迫行為を行うことでしか安心を得られない、いわば「不安依存症」みたいな状態なんだと思った。

加藤諦三が何かの著書で「悩み依存症」という言葉を使っていたけど、その言葉の意味がすごくしっくり来た。それと同時に、「そうだったのか」という気持ちになってちょっと楽になった。
不安を振り払おう、振り払おうと必死に生きれば、もっと不安になる。そうではなく、不安を抱えつつも、自分がやりたいこと、なりたいもの、それを目指して建設的に生きて行くのが一番健康的で幸せなんだろうな。痩せてオシャレがしたい、知的になりたい、居心地の良い部屋に住みたい、ギター上手くなりたい、そういう願いがあったはず。あまりにも不安の奴隷として生きすぎて、どう願っていたのか忘れかけていたし、そんなに願ったことはなかった。けどこれからはもっとそういう風に生きよう。そういう風になれるまでどれくらい掛かるかわからないけど。

悩み依存症、どの本に書いてたか忘れた。これだったか。

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