そのお金誰が出すの?

「保育園落ちた日本死ね」というはてな匿名ダイアリーの記事が話題になっている。

社会政策ゼミに入っていて、女性活躍とは切っても切れないテーマで卒論を書いた私としては、非常に興味深い話で、「やっと政策論争のテーマに上がるようになってきたか」という感慨深い気持ちを持ってニュースを眺めている。

Twitterのタイムラインに上がる頻出意見として「国がもっとお金を出せ」というものがある。お金を出す対象は自治体が運営する保育園だったり、保育士の給与だったりである。
私はこれは手放しで賛同は出来ないと思っている。
「お金」というのは税金なのであって、国がそれに対してお金を出すということは、私たちも負担しなければいけないということだ。
保育園を欲しい人たちにとっては「そんなの負担するさ」という話なわけだが、高齢者や子どもを持たない選択をした人、子育てを終えた人、子どもを幼稚園に通わせるという選択をした人にとっては「は?」なのである。そこで「じゃあどっちが得するか決めよう」というのが選挙。

こういう社会問題の話題で嫌なのは、すぐ「国が金を出せ」という論に着陸してしまうことだ。その金は誰の金か?という議論がない。もっと言えば、なぜそんなに保育園を作るのにお金がかかるのか、保育士の給料がそんなに低いのは何故かとか、社会福祉法人の偉い人の給料っていくらくらいなんだろうね?みたいな話すらない。保育園だけじゃなくて介護施設や年金や福祉関連の問題すべてに適用できる話。

この問題を解決しようと思ったら間違いなく次の選挙を逃すとやばいので、どんどん炎上させないといけない。ここまでひどい状況になったのは間違いなく有権者の責任。投票してくれる人たちが儲かるように政策は作られているということを忘れてはいけない。ちゃんと私たちが騒いで選挙区の議員にたれ込めばマニフェストになる。
ただ、乱暴に「保育園を作りまくれ!」とかじゃなくて、「労働と育児を両立したいと考えている人たちが、それを実現するための最適解は何か?」をしっかり考えてから騒ぐべき。「保育園を作る」ということは目的じゃなくて手段だからだ。
既存の保育園の枠組みを出る場合もあるし、もしかしたらベビーシッター的なのがいい場合もあるかもしれない。そういうことをじっくりと議論できる場があればいいなあ。