3日間じっとしていたら暗い気持ちになってきた。早く会社に行きたい。
こう気持ちがどんよりしたり、むしゃくしゃした時に無闇やたらに発散しようとせずに「あー、気持ちがどんよりしているなあ」とか「まあ3日もだらだらしてたらそうなるよな」と思えるようになったのは成長したなと思う。
最近は暑いし、平日の出費が多くて休みの日にどっかに出かけようという気持ちにもなれない。勉強はなんだか捗らない。根本的に何もしたくない。主体性とか意思とかがどんどん死んでいるような気がする。それとは反比例して仕事が楽しくなっている。無関係じゃ無いとすれば怖い。
東京に来てからより雑談が苦手になった気がする。でも、関西弁だと言葉が流暢に出てくる気がする。ちょっと踏み込んだ発言もできる。これは関西弁の力なんだろうか。英語だとはっきりと発言ができる、みたいな人って多いらしいし。関西弁だとちょっとフレンドリーに話せるのかもしれない。標準語だと無意識に壁を作ってしまう。それとも関西弁で喋れるくらいの人は心を許しているということなのか?
関西の外で関西弁で捲くし立てるのはどうなんだろう、と思っていたけどちょっとそういう人の気持ちや無意識理解できたかもしれない。
意識高いとか言われてもどうやったら日本がよくなるのかとか、みんな幸せに生きれるのかとか大学で討論していたの、無意味だったけどやっぱり楽しかったと今振り返ると思う
自分が苦しいのは、社会のせいじゃなくて自分のせいなんじゃ無いかって思ってた部分もあったけど、やっぱり社会がよくなればもっと私も周りも心の余裕とか持てて生きやすかったなという部分は確実にあって、
自分が真に燃えるのはそういうことなんだなあと思うので、どうしたら日常的にそういったことに取り組めるかを考えている。
英語勉強したい、今の仕事ももっとできるようになりたい、社会政策に触れていたい、痩せたい、ギターを弾きたい、お金を貯めたい、引っ越したい、穏やかで健康な毎日を送りたい、叶えたいことがたくさんあって大変だ。もっと毎日頑張りたいけど、何もしないことで自分を守っていた人生をすぐに切り替えるのは難しい。脳は変わりたく無いと言っている
