心の余裕というのは馬鹿にしていたけど、人生においてむっっっっちゃ大事だなと思う。
しかも心の余裕は大方金の余裕。これは自分だけじゃなく色んな人を見ていても思う。金が無くなって急に心の余裕を無くす人はめちゃくちゃ多い。
生活保護費をカットするのとか本当に良く無いなと怒りすら覚えていて、心の余裕が無くなることで辛い思いをするのは本人というのもそうだけど、大抵は家族など周囲も色々不愉快な目に合う。それは結局本人に全て返ってくるのでますます心の余裕を無くしたり社会との断絶が生まれる。それでは生活保護からは抜けられないし、それらの支出はどんどん増えていくだろう。政治家は大体いい家のご出身なので、金が無くて心の余裕も無いという状況は経験されたことが無いであろう。
金が無くても心に余裕を持つ方法、普通に資本主義社会で生き続けていると難しいし、修行がいるし、方法の合う合わないが確実に存在する。すげえ難しい
この話題を書いた矢先に心の余裕の無い発言をしますが
- 自己主張のために他人を使うのをやめろ
- 自分を可愛がることを他人に強いるな、拒絶されたからって不機嫌になるなよ
お前とは一切関係ねえよという何気ない発言、被害者意識の強い人が「傷つきました」と割ってきて主張してくるの愉快ではない
私が小室哲哉の記事を書いた文春の記者ならものすごく辛いと思う。何年も、自身の病気や愛する人が変わってしまったことで苦しい思いをしてきた人にそんな仕打ちをしてしまったことを悔やむだろう。長い人生の中で、それをしばしば思い出して苦悩し、償いの気持ちを覚え、贖罪し、しかし許された気持ちになることはなく、自殺したくても出来ずのたうちまわり続けるだろう。最悪だ。ゴシップ記者は、異常な正義感を持っているか共感性を一切欠いた人間じゃ無いと出来ないと感じた。
私は川谷絵音が不倫した時はマジのクソ野郎だなと思った、それは離婚するからとか良いように言って自分の嫁もべッキーもめちゃくちゃ傷付けたから、クソだなと思ったんだけど、まあ基本的に他人の家庭はどうでも良い。でも人を傷付けるのはダメで、そうしないように努力しようとしないのはクソだと思う、つまり基本的に不倫はクソだという立場。誰も幸せにならないことがほとんどだし。ただ、人は努力が困難な生き物だとも思っているし、如何なる状況でも浮気や不倫はダメなのか?と言ったらそんなことはないと思う。小室哲哉の場合はそれ。家庭崩壊してる場合とかもそれだと思う。まあ不倫する人は何だかんだ自分を正当化して不倫するんでしょうけど
何故川谷絵音が叩かれて小室哲哉は同情されているのか?というコメントを見て思ったことである
