iPhoneを忘れて出かけた

昨日夜中に錯乱してしまい寝付けず、家を出るギリギリの時間まで寝て居たせいか、iPhoneを寝床に置いたまま会社に向かってしまった。電車の中で何か音楽でも聴こうと薄べったい直方体を手に取ろうと探したのだが、無いことに気づいて諦めて目を瞑った。相当困るのでは無いかと思ったが、自分のサービスのデバッグが出来ないくらいだった。iPhoneがなければKindleで本読めばいいや、って感じ。自分は文章を読みたいだけで別に手段はなんでも良かったんだなと思う。

iPhoneを忘れた代償に今日社会で何が起こっていたのか全く知る術がなく、たとえば松本智津夫の死刑が執行されたこともさっき知った。ちょっと衝撃だった。下種であることは重々承知なのだが死刑が執行される前、教誨室での彼らがどのような様子で、どのような話をしたのかということにとても興味がある。前ここにも書いたような気がするのだが、「死刑」は私の理解の範疇を超えている。それが余計に興味を引く要因になっている。何年も前から「お前は死にます」と言われ続け、ある日急に「今日お前は死にます」、どういう心境になるのだろうか?事前宣告も無く突然「あと1時間後にお前は死にます」と言われたらだいたいの人は混乱し、泣き叫ぶと思うのだが。あなたが死ぬ準備をしまーす、はい遺書書いて、と言われたときどういう感情になるのだろうか。まあでも、平静では居られないのだろうな。たとえたくさん人を殺して居たとしても。

まあそれは置いといて、今日初めて会社の近くの一人カラオケ専門店に行った話をする。前々から気になっていたのだが、まあまあ、という感じだった。割高感は否めない。何よりもレンタルのヘッドフォンがくさい。くさすぎる。あまりの酸味に驚いた。何酸なのか?600円払ったが耐えきれず自分のイヤホンを使った。イヤホンとしては今日初めての出番にワクワクしただろう。結論としては普通のカラオケがやっぱり良いっすわ。


特別警報、数十年に1度レベルの災害のときに出るはずなのに毎年出ている気がする。

「ああ、また特別警報か」という空気が世間に漂って「こんなもんか」となったら、「ハイパー特別警報」や「ウルトラスーパー特別警報」とか出るのかもしれない。


Twitter、うまく物事が表現出来なくなったりノイズが増えてきてしまい嫌になってたのだが、Twitterでしか連絡の取れない人や趣味の情報獲得インフラになっており、やめたいのだが難しい状況になっているのでとりあえず書きたいことは全部ブログに書くことにした、文字数の上限が無いことやむやみやたらに自分の発言が人目に晒されないのは気が楽だ。自分はとても思想が強くて人を傷つける節があるので「お前らにおれが理解できるわけがないだろう」と最低のスタンスでこうやって1人でグチグチと言っている方が世界がより平和になる。


「親にお気に入りの物を急に捨てられたことがある」「肌が白いからお前は自分たちの仲間じゃない、というような差別を受けたことがある」みたいな経験をしてきてしまったせいで自分の性格はねじ曲がってしまったし、知らないうちに溜まった怒りが急に噴出してコントロール不能になることが多い、最近はこれが非常に生きづらい。こうやって恥も外聞も投げ捨てて文章に書くのが自分にとって大きな救いになる。