期せずして一人旅

結婚してから親同士を会わせていなかったので、会わせなければいけないのでは?などの社会的規範数件のもと、帰省。

帰ってきたものの親がネトウヨぶりを発揮、差別主義者を信奉、思想の強要でもう無理だな、二度と会いたくないなという気持ちで泊まっていた実家を無言で出てきてホテルを予約し、チーズとカニカマとウーロン茶を買ってごろごろゲームをした。札幌で食べたぼったくりカニしゃぶよりも近頃のカニカマの方がうまい。

ゲームをしながら、上司にその旨を愚痴っていると「娘と母親が仲の良いパターンはあるのか?」と聞かれた。同性の親は子を自分と同一化しやすく、別の人間であるということを理解せず接してしまうので子が親を憎むケースが多いのではないか、と言おうと思ったがやめて飲み込む。

自分が我慢をすれば、折れてあらゆる要求を飲み込めば円満になるのであるが、それは今までの人生をすべて無かったことにして新しい人間として生きていけ、ということに限りなく近く、今まで私に酷いことをしてきたことの謝罪も理解もしていない人間に折れなきゃいけないのか?そういった気持ちだけれど、あの不幸な生き物に対して寛容ではない自分に対してひどい罪悪感もある。酷い出来事が一度や二度なら自分もスルーできたのかもしれないが、既に心の距離が開きすぎていたのだ。

子どもの頃から肌の色で差別されたり身長が高いことでいじめられたり、金銭的にも苦労して、いまの右寄りの人間が支持している人たちが許容できなくて怒りさえ感じるのに、保守思想を拒否するだけでなぜ失望や怒りの言葉をぶつけられなきゃいけないのか分からない。そんなことをされて「そうだよね、あなたの言うこともわかるよ」なんていうことは自分にはできないので、悲劇を食い止めるためには、ただただ無視して距離を取ることが自分にとって出来る唯一の仕事、なのになんでその仕事に罪悪感を感じなければならないのか。全てのルートがバッドエンドだ。とにかく今はとにかくその意識から逃れたい。できればこの街にも当分来たくないし、この街の言葉も喋りたくない。