10年越しに夢が叶った

私はWeb系のエンジニアをしている。

Web系のエンジニアと一口でいっても、サーバーを管理したり、サーバーが返却するデータを制御するプログラムを書く人、データベース周りの仕事をしている人、iPhoneのアプリを作っている人、HTMLやCSS、JavaScriptを書くなどしてWebサイトの仕事をしている人、たくさんの種類の人間が居て、自分は前者側の仕事をしていた。
サイトで表示するためのデータをサーバーから返すプログラムを書いて、DBやサーバーのスペックがどれくらいあれば十分か計算して構築して、エラーメールが飛んできたら調査して直してユーザー影響が無いようにする、というのが日々の仕事だった。最近はひたすらにサーバーをせっせと立ち上げて別のサーバーから引っ越しさせてアクセス負荷試験をする、ということをしていた。

エンジニアとして仕事をするぞ!と思った時に、自分がやりたかったのは、iOSアプリを作ったり、Webサイトで見た目を綺麗にしたり、使いやすい導線や画面を設計することだった。なるべくユーザーが意識する側の仕事をしたかったのだった。しかし、自分が任されたのはWebサービスのレイヤーでいうと真ん中〜少し下あたりの仕事だった。

データ系やインフラ系と言われている仕事がユーザーに価値を与えないかというと全くそうではなく、むしろここが頑張らないとユーザーの求めている価値が実現出来なかったりする。だからこれはこれでとてもやり甲斐があり、担当しているサービスを俯瞰してパズルのように設計をしたりコードを書いたりするのはとても面白かった。知的好奇心を満たせるのも嬉しかった。

ただ、漠然と「これじゃねえ感」がずっとあり、本当にこの道を突っ走っていいのか?ということを1年くらい考えていた。でもまあ金になるし、無駄にはならないか、頑張るか、とやり過ごしていたのだが、半年くらい前から徐々に「やっぱこれをずっとやるのは無理だなあ」という考えが大きくなっていった。

「無理だなあ」に至るまでに色々ポイントがあってそうなったのだけど、1つは自分の得意なことではなく、かなり無理をして適応してやっているな、ということだった。

自分は慎重派だと思っていたけど、慎重派というよりただの面倒くさがりなだけで、思いついたことはすぐ試してみたいタイプなのだった。でもサーバーサイドエンジニアリングでそれやるとサーバーが死んだりして始末書を書く羽目になったりする。論理的に何かを考えるのは好きだけど、”漏れなく”要件を満たして設計したりするのはとても苦手で、「あ〜これ忘れてたな……」というミスが多くて、それを取り返すのに時間を要したりする。これはエンジニアあるあるだと思うけど、相対的に自分はそういうのが多いしそれがかなり苦痛であった。

自分は幸か不幸か、学習能力がある方なので向いていなくても時間と経験をかければそれなりに出来るようになってしまう。それを「出来る」と錯覚していたのだが、やはり新しいことをぶつけられると周囲よりキャッチアップに時間もかかるし、最初はアウトプットもろくに出せない。なんとかしなきゃなあ、と焦ってプライベートで勉強するのだが、大して興味が無いなということに気付くのだった。心底どうでもいい。そんなことよりもっと本を読んだり美術館に行ったりしたいと。周りのエンジニアのようにキラキラした目で新技術について語ることは自分には難しいなと思い知った。せいぜい、悔しいので知識マウントを取られたく無い、くらいしかモチベーションが無い。

逆に、新しい施策について議論したり、サービスの問題点について議論するときは自分は周りよりもするする言語化できたり、それを褒められたりすることがちょいちょいあった。自分の比較優位はエンジニアではない別のところにあるんじゃないか、というのが日に日に確信めいていった。

 

あと、アメリカに行ったことは自分の価値観をはっきりさせることに繋がった。シアトルの街並み、建築物、雑貨たちを見てとても心が昂ぶって、脳の毛細血管の広がりを感じた。ああ、自分は美しい工業物がとても好きなのだ、好きだと言っていいのだ、と思えたのだった。確かに昔から家具や建物や文房具が好きではあった 。でもそれは他人の好きと同じ好きなのだと思っていた。そうではなく、相当好きだということがわかった。ちょっと常軌を逸している部分があると気づいた。
自己肯定感が死んでいるので、自分が好きなものを好きという自信が無かったけど、アメリカに行って自分はこれが好きであると確信を持って思えるようになったのだ。

そうなったときに、自分が10年前にした選択を強く悔いるようになってしまった。
私は高校2年くらいまで、プロダクトデザイナーを志していて、家電や家具を作りたいと思っていた。深澤直人がつくったINFOBARに心を打たれて、自分もそういう仕事をしたいと考えたのだった。
でも、自分がそういうことを思うのは非現実的で、まさに夢の夢という感じがしていた。絵を書くのは好きだったが全然上手くないし、才能もセンスも無い人間だと思っていたからだ。だから進路を選ぶ時に、貧乏だから絵を習いには行けないし浪人もできない、そもそも美大に通うお金は無いからやめてしまおうと諦めたのだ。ぜったいにお金に困らない進路を作り選ぼう、と自分の夢には蓋をして忘れることにしたのだった。

アメリカに行った後、そのことを思い出して、もっと周りに相談したり、実現する方法を考えなよ、逃げんなよ、とか色々思い始めて、あの時自分が選択を間違えていなければ、と後悔の毎日が始まった。いや、今度は間違えないぞ、とフロントエンドの仕事が出来るように勉強を始めて、今の会社でそれができないのならば退職も辞さない、と新しい職場を探したりしていた。

ここまでが1ヶ月くらい前までの話。

突然上司に、「**さんの仕事をデザイン担当にします」と宣言されたのだった。
え?なんで?と混乱と喜びで泣きながら、なんでですか?急に?どうして?私に?と聞きつつも答えは帰って来ず、「とりあえずこの部分を任せるから、これをやれ」とだけ言われて、「分かりました」と答えたのだった。私がデザインが好きで、そっち側の仕事をやりたい、というのは1年くらい前から言っていたものの、どうせ人も足りないしエンジニアをさせられるのだろう、と思っていた。でも1年待っていたら叶ったのだ。ちゃんと任された仕事を真面目にやっているところを見てくれたんだ、と思うと嬉しかった。

チャンスを得たのだから、期待には報いなければいけない、それはエンジニアをするよりもずっと辛いという確信があるが、自分がやっと自分を大切に出来るのだから、命の限り、誰に嫌われたとしてもこの仕事を全うするのだという気持ちでいる。