ゴミ捨て以外に外に出ることもなく、コンビニにも行かず2ヶ月間過ごしていたが、とうとう会社から出社せよとの命令を受けた。別に緊急事態宣言の解除は終息を意味しているわけではなく(とくにこの東京においては)、なのに出社を求められて思考停止を感じた。もう我々は対面でやんややんや言い合って会議することはできないのに。
とりあえず今週は週一でいいらしい。出社したくないとはいえ、さすがに4ヶ月放置したプリンのショートカットでは人前には出たくないし、そもそも鏡を見るたびに辟易してしまうので、美容室で髪を切って染め直した。またいつ来れるか分からないので暗めの色にした。
自分が2ヶ月間外出しなかったのは、感染症を恐れていたのもあるけど、外出する理由が無かったのが大きい。そして怠惰。
リモートワークの最初の1ヶ月はそれこそ毎日朝昼散歩していたけど、とくに白木蓮も梅も桜も散ってしまってからは散歩をする楽しみが減ってしまい、毎日毎日同じような景色を見ていることで、より「行動が制限されている!!」という気持ちになってきて発狂しそうになった。なので散歩はやめて、踏み台昇降をすることにした。
スーパーも元々ネットスーパーだったし、Amazonもよく使ってたので買い物に行く必要がなかった。最初はよくコンビニに行っておやつとか昼ごはんとかを買ってたけど、近くで大規模なクラスターが出たり、いろんなコンビニ定員がTwitterで嘆いているのを見て、やめておいた方がいいのかなー、と行かなくなった。
あとは、自分も夫もインドア派だったので、引き篭もろうと思えばいくらでも引き篭れた。そうなるともう外出する理由がなくなってしまった。
たしかに私も美術館に行ったり、うまいカレーやパフェ食べたり、帰りにウィンドウショッピングしたり、カラオケ行ったり、外の世界に趣味があったはずなんだけど、「あったなあ、そんな概念」という気持ちになっている。そういう夢を見ていた、というのが感覚として近い。あれはもう無い。手を伸ばしても届かない場所にあるから仕方ない。
そんなことを考えて思い出したけど、何かと理由を付けて行動を起こさないのが得意だ。人間らしいだろう。何もしない方がエネルギーを消費しないから合理的なのである。自分の中に強烈についている思考のクセがある。沖縄の離島に住んでいた時、「○○がしたい/欲しい」と思っても、そもそも海の向こうにしかないので手に入らなかったし出来なかった。親も何かをねだられたら、本当はあっても「そんなものはない」と言っていた。そのうちやる前から「でもどうせ無いしな〜」と思うクセがついてしまっていた。それは大阪に戻ってからも「大阪には無いしな〜」と思ってたし、東京に来てからも似たようなことを思っている。自粛向きの性格である。良かったと思う反面、このまま見たい景色も見れず死ぬのは、さすがに本当に嫌だな〜と思った。そう思うとやたらと外に出たがったり平常に戻ったと信じたくなる人たちの気持ちも理解できるような気もしてくるが、根本的に価値観が違う可能性が高い。
何もない、と諦めてしまった方が、「○○がしたいのに」と思ったり想像する必要が無くなって楽だなということを経験的に知ってて、この2ヶ月そうしているんだけど、何だか自分の人生って何だったんだろうと最近はずっと思っている。
まとまらなかった。
