ただの自惚れだろうし、そのうち未来の自分が「何を言ってるんだこいつは」と思うかもしれないんだけど、最近わかったことがある。私は頭が良い。
子どもの頃から時々頭が良いと言われてきた。親族、周りの大人や同級生、同僚、先輩、上司、など。面接官にも「あなたの頭がいいのはわかりました」と言われて不合格を出された。
ただ、それはテストの点数、突発的な受け答えや所作に対して言われたのであって、自分の定常的な能力に対する評価であるとは思えなかった。勉強はクラスで一番というわけではなかったし、不器用で要領も良くなかった。自分の話はわかりにくいと思っていたし、社会の中で上手く立ち振る舞って役に立っている感覚がまったくなかったので、自分に対して優れている人間というイメージは持つことができなかった。今でも能力の合計値は平均的だなと思っているし、去年WAIS受けた時の結果(IQ107)もまさにそれを証明していると思う。だから頭が良いってどうしてそう思うの?と考えていた。皮肉なのかな、とか。
ただ最近になってやっと、自分の思考力や理解力が優れているから周囲は頭が良いのだと言ってくれるのだと思った。
自分の能力に対する評価が変わったのは、ここ1年の感染症に対する周囲や世間の反応や理解を見ていてわかったと言うのが一つ。おれはちゃんと科学的なソースを自分で探し、それを読んで理解することができる程度には脳みそが恵まれているんだなと。そして自分にも理解できないことや知らないことがあり、間違っている可能性があるということを想像できる程の認知力があるんだなと。
それと、今までの仕事を振り返ってみると、理解力が無いと成り立たない業務をこなしていた。半分以上のチームメイトを失い、ろくにドキュメントも残されていない環境で手探りでシステム理解をして、ちゃんとアウトプット出してドキュメントも残して。自分じゃない2,3年目文系卒がそれやってたらしっかり評価するだろう。でも現実では他人じゃなくて自分がやってきたことなわけで、なんで自分のことになると評価できないのか?自己評価が低かったのか、あるいは高すぎたのか分からないが、とにかく自分の能力がある程度無ければ生き残れなかった。
もう一つ仕事で、蓋を開けてみると私が予言した通りに物事が進むことが多かった。「早くやれっていうけどここは地雷があると思うので慎重にやった方がいい」→結局急かされて爆発、とか。異動で捨てる羽目になった施策や分析結果が1年経ってそのまま再現されてリリースされたりとか。もちろん間違えたこともあるけど、自分が頭使って論理的に導いたことが大きく外れる事はないから自信を持とうと思った。
仕事でさらにもう一つあって、この半年〜1年くらい一般消費者とメールでやり取りする機会が何度もあったんだけど、予想を超えてくるような出来事が何度もあった。結局、自分の周りにいる人ははぁ?と思うことがあっても、みんな会話ができる人ばかりだったんだと気付いた。世の相当数はとくに何も考えずに生きてるし、社会の解像度も低い。もう、どこまで理解できているんだろう、どこから説明すれば理解できるんだろう、いやこれは理解してもらおうという態度ではうまくいかないんだ……。という学びがあった。なるほど、こういう人たちを見たことがあれば、私のことを相対的に頭が良いと称する人はいるだろうなと納得できたのだった。
あ、あとAmong Usが初めての割に結構上手くできた。
正直、自分に優れた能力があると認めるのは恐ろしいことだと思っていた。そこで自分が成長や改善をサボるのではないかとも思うし、驕り高ぶって他人の意見に耳を傾けることがなくなるんじゃないかと。でも今も常に成長出来ているか?他人のことを値踏みしてないか?というとそんな事は全く無いわけで、ダラダラもするし先輩のことをバカだと思って話半分で聴いたりしている。
多分1番怖いのは「自己評価高くして調子乗んな」とか、自己評価高い割に結果が残せなかった時の自己嫌悪や他人の眼差しなのだと思う。ダサいの嫌だなって。それは甘えなので、とにかくやれるだけ頑張って成果残せなかったら自己評価を修正した方が建設的だよね。あと自分の評価を厳しくしても結局「なんでこいつこんな自己評価低いの?」って周囲をイラつかせるだけだし、自分の精神衛生的にも良くない。
おれはほんとダメなんだよな〜って思うより「バタバタしてる環境とか正確に業務をしたり気の利いた一言を言ったりするのは向いていないけど、腰を据えて考えて答えを出すのは得意だし勉強もできる方」って思っておいた方が多分いいんだよな。その方が前向きに働けるし、人生楽しいし、他人にも優しく出来る気がするし。
