幼稚園の時に宮古島に引っ越した。
ただでさえ、文化の違いは凄まじく、知らない言葉や遊びや人間関係の距離感に戸惑うばかりの毎日だったが、その中でも一番衝撃的で受け入れがたかったものが「エイサー」だった。
年度の途中で転入することになった学童保育で、同い年の子供たちが知らない民族音楽で踊る様子をただただ見学させられ、純粋に「怖い」と思ってしまったのだ。
方言や訛り、手遊びが若干違えど普段コミュニケーションが取れる子供たちが当然の様子で全く知らんことをやっている。自分だけがわからない。無駄に荘厳な音楽が怖い。歌詞がひたすらに方言で何を言っているのか理解できない。しかし彼らはそんなことはわかり切っていると、疑問も無く踊っている。
そんな様子に、自分はどこまでもよそ者であるということを感じさせられ、それからずっとエイサーというものに拒否反応を持ちながら生きてきた。
数年後に小学校の運動会でエイサーを踊らされたときも、なんでこんなことをしなきゃいけないんだろう、と思っていた。なぜ私にショックを与えた側の文化に染まらなきゃいけないんだろうかと。
それからすぐに宮古島を離れ、私も大人になり、時が経ったことでそのような暗い気持ちも幾らか浄化され、「あれって一体なんだったんだ」という疑問が湧いてくるようになった。
エイサーって何?なんでやるの?いつからやってんの?私が初めて見たエイサーのあの曲は一体なんていう曲なの?歌詞の意味は?なんであんな荘厳なの?やっぱりあれは沖縄の暗い歴史がそうさせるのか? といった疑問が次々に湧いて、とりあえず「エイサー 曲」とYoutubeで検索して出てきたのが、以下の曲なのだった。
あ〜これこれ、この曲ミルクムナリって言うのか〜と思って概要欄を見るとこんなことが書いてあった。
ミルクは「弥勒」、ムナリは「踊る」というインドネシア語。 無国籍音楽者「日出克」と南島詩人「平田大一」の手により生まれた楽曲は、聴く者の魂を鼓舞せしめる力強い曲調で、文化の違いを問わず人々の琴線に触れるものがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=6uDI_4QxrJE
インドネシア語?無国籍音楽者?この曲って別にすごい昔からあるわけじゃないの?と、さらに調べると1993年の曲だということがわかった。同い年じゃねーか。あの時これで当然のごとく皆踊ってたけどせいぜい5、6年とかの文化だったってこと?それにショックを受けていた私の繊細よ。騙された気分だ
いや、でもこれ↑のやつ見て欲しいんだけどマジで一切言ってることの意味がわからないし、音楽も沖縄っぽくあり沖縄じゃ無いというか、今聴いてもめちゃくちゃ斬新ですごく面白いんだけど、それを5歳の子供がすっと受け入れるにはかなりハードルの高い作品じゃないですか?異文化にも程があるというか。そのとき流行ってたの篠原ともえとかPUFFYですからね
で、歌詞の意味も私以外の周りの人間は当然知っているんだと思っていたんだけど、歌詞がいわゆる「八重山方言」で、私の住んでいた宮古島の方言体系とは全然違うものだということがわかった。誰も分かっていなかった可能性がある。
しかもこのエイサーの形ができたのも戦後にコンクール化したことによるものらしいし意外と歴史が短いということもわかった。思っていたのと違う。伝統だから歴史文化だからと偉そうに説かれてきたのはなんだったのか。何もあてにならない。
それよりもミルクムナリ、音楽的にめちゃくちゃ面白いなというのが個人的には最も感動したというか、もっと南方や異国の音がしてコアは別に沖縄の民族音楽じゃないんだよな。音階とか。それでも沖縄の人に沖縄の音楽であると受け入れられる言葉のパワーやエッセンスとか、すごく絶妙なバランスで成り立っている感じがする、音楽の詳しいことは知らないけど改めて聞いてこれすごいなと思った。ボーカルの力強さとか。
新しい文化を知ったり楽しむ/楽しませる、知ってもらうためには突然豪速球でぶつけても意味がないんだなと。それまでに地盤ができていないとだめだったり、もっと近いものから試すとか、そうじゃないと受け入れられないんだと自分の身を持って理解した。あるいは、かけ離れたものの場合、時間だけがそれを解決するのかもしれない。
ちょっとどうやって締めればいいかわからないのでエイサーあるある言います
- 道路封鎖しがち
- 封鎖された道路の周りで椅子とかシートとか開いて住民が見がち
- とくに住民は盛り上がるわけでもなく無表情で見がち
ご清澄いただきありがとうございました。
