限界じゃなかったことがない

会社をしばらく休むことになった。もう長いこと仕事は面白くなかったし、冷静になるとなんでその仕事を辞めなかったのか??と思うような理不尽なことも何度かあった。普通に転職活動をして辞めるつもりだったが、夫にマジで最近のお前はおかしいから産業医面談を受けて一回休んでくれと言われ、会社で嫌だったこととか最近仕事も趣味も全然集中出来てないンすよね、とかそういう話をしたらソッコー休職で!と言われあれよあれよと休職の手続きが執り行われた。

私は感覚過敏な一方で、殊に仕事については感覚鈍麻という感じで、嫌なことがあっても感情が揉み消されるといつか、遅れてくるというか、それが溜まりに溜まって急に爆発するのを何度も繰り返してきた。この2年は常にツラいという感情が振り切っていて麻痺しつつも、何かあった時に些細なことですぐに爆発してしまうような感じだった。

麻痺してたので、完全にまともな状態じゃなかったんだけど、憎しみが変装した責任感で会社にはコンスタントに行っていた。それなりに働いて、やり甲斐はないけど、(何かが)どうにかなるかもしれない、という気持ちで仕事していたんだけど、これはどうにもならないわな、と気付いたときに心が折れてしまった。

ぽっきり折れた気持ちで、「まあ私が全部悪いんで……」という気持ちで処理していた辛い出来事を夫に話したらかなりマジで怒ってくれて、もうそんな会社には行かなくていいと強制的に休暇をとらされた。休んでしばらく冷静になって、いかに自分が我慢していたのかということに気付いた。生きててこの方ほとんどの時間がしんどかったのでそれが普通だと思っていたのだが。

いまはとにかく1日でも長くやすみたい。学生時代からかなり無理な生活をしてそのまま社会人になったので休養が欲しい、とにかく。


そして、私が数年間築き上げたと思っていた精神的な健康とそれを維持する仕組みは虚構だったということがわかった。

親からネグレクトされたり精神的に虐待されていたので、小さい頃から心に脆弱性を抱えたまま社会に適応しなきゃいけなくなったんだけど、大学生の時に家から出れなくなるレベルの故障をやらかした時に、加藤諦三の本とかアドラー心理学とかの類の自己啓発ばかりに頼って自分のことを受け入れずに生きてきてしまったのが失敗だったなと思う。

ある程度、そういう自己啓発は必要だったし今も必要だと思うんだけど、結局あれだけに頼るのは骨折したときに固定とか治療をせずにリハビリをするみたいなことだったと思う。あの時必要だったのは複雑性PTSDの診断と自分の心身を受容する訓練と治療、そのあと初めて認知行動療法を受けたり加藤諦三の本を読むとか、そういう順番でやる必要があった。

まああの時はお金なかったし、自分が虐待サバイバーという自覚もなかったから複雑性PTSDや発達トラウマの概念に出会うことはありえなかったし、数年前は今よりもトラウマ疾患の知名度も低かったので、とにかく低コストな言葉でスピーディに表面的に健康な人間として立ち直って会社員としてやっていく必要があった。だからこういう結果になるのは必然だったのだと思う。

それと同時に、自分の精神のハードモード加減にうんざりする、人が感じなくていいものを感じ取ったり、感じるべきものを感じることができないためにしなくていい苦労ばかりしている、しかも難知性で治療法も時間をかけて色々試さなきゃいけない。

私は幸いにも半年くらい前から治療を受けられているけどまだまだ回復にはかかるなと思うし、今後の人生で同じようなことがあってもまた失敗するような気がする。それは課題を自覚しているからなので、希望を持っていいのかもしれないけど。


2年半前に、やっと、望んでいた仕事ができそう、ってなったんだけど結局あんまりできなくて、任せてもらえなくて、とにかく私の能力が足りないからだと、目の前のことを必死でやればついてくると思ったし、信頼して任せてもらえると思ってたんだけど、結局私は誰からも見向きもされず、ただ無力感と苦しみだけが残ってしまった。それは私の能力の問題じゃなくて、見る目が足りなかったから、諦められなかったから、逃げるのが怖かったからだった。本当に間違えたと思う。チャレンジすることさえできなかったから諦めることもできなかった。本当に悔しくて恨めしくて、この気持ちをここにぶつけることしかできない。でも早く気づいてよかった。まだやり直すことは出来るよね、やり直させてくれ、やりたいことをやるにはもう時間がないようなきがする