他人の物差しに自分の評価を委ねるのは良くないというのは百も万も承知なのだけどもっと「頑張ったね〜」と言われたかった。
実は評価されていたけど自分が受け取っていなかったのか、私が「こんなんじゃまだまだ」という姿勢だったりもっと褒めてくれ〜〜と口に出していなかったのかな〜とは思うけど、もっとフィードバックが欲しかったなあと思う。何度も上司に謝られたり今まで頑張ったねと言われ、その言葉で私の心は成仏し、泣くのだが次の瞬間朝が来て夢だと気づく。
先輩2人に現状について報告したら、「逆に言うと、そんだけぞんざいに扱われるって能力を認められてるってことだと思うんだよね、あの人はできない人には逆にめちゃくちゃやさしい気がする」「あ〜わかる〜」なるほど。私はクソほど生意気で製品の方針でめちゃくちゃ喧嘩もしたのでシンプルに嫌われている線もあるけど。
今の会社で働いていて、
- あんまり周囲の人と合わない/打ち解けきれない
- 誰も私を理解してくれない
という気持ちが自分の中にずっと渦巻いていた。それはメンヘラ故に思っていたのが半分と、自分に自信がない故に人が怖かったのが20%、残りは実際周囲に気が合う人はそんなにいなかった、というのがあって、自分と話が合ったり内面を見てくれる数人に精神的にやや依存していた部分があった。上司もそのうちの1人で、以前までは私のことは見てくれていたし、キャリアについても希望を叶えてもらった部分がある。最終的には当人の仕事の振りかたやマネジメントによってメンタルを何度か故障(未遂も含め)することになったので収支はマイナスなのだが。
そういう意味で、今のこの状況に対して、原因のほとんどは職場にあるけど自分にも原因は大いにあると思っている。職場の特定の人間に精神を傾けてしまう自己肯定感のなさ。「この仕事/職場はやりづらい」という原因を「自分の能力がないせい」という結論にしてしまい、こうなるまで退職を選ばなかったこと。
結局、自分が悲劇のヒロインになりたいだけなんだろうなと思う。あとは原因を自分の外に求めるのはダサい・攻撃対象になるという節がある。根っからのいじめられっ子根性である。自分のセルフイメージが「不幸」「だらしない無能」で固定されてしまっている。これを書き換えないと、人間関係での失敗リスクは上がると思う。
私はそこそこ幸せに生きていたところから「地獄」に突き落とされてきた経験が2度ほどあるので、自分の幸せなイメージを描くことが難しい。病気になることや、失敗する映像はいくらでも思いつくのに。あと、幸せのイメージはいつも攻撃されることや転落とセットだ。結局私の人生はトラウマとの戦いだ。傲慢になりたくない、創造性を失いたくないという気持ちが強くてセルフイメージを向上させることに取り組んでこなかったけど、これは私の最大の課題の一つなのかもしれない。
とはいえ、仕事に対するフィードバックが前向きなものも後ろ向きなものも少ない、というのはやっぱり恐ろしいものなのだ。
自分は特にどれだけ人が喜ぶかがモチベーションになるので、その気持ちには寄り添って欲しかったなと、どうしても思う。それはMVPや賞与をもらえれば満足するわけじゃなくて、存在を承認してくれるような場やコミュニケーションが必要だったんだと思う。
でも、私が辞めますと言っても引き止めの言葉は一切なくて、それは私が限界になってしまったからだと思うけど、退職じゃなくて異動はどうかとか、そういう話にも一切ならなくてあっさりと受け入れられた。淡々と手続きが進んでいって、最初からこの会社には必要とされてなかったのかもなあと思った。悲しかった。
次はもっと幸せな自己暗示をかけながら、自信を持ちつつ他人を尊敬しながら働けるような職場を選びたいがどうすれば選べるのか?
