日記 2023/5/7

Twitterで無痛分娩に関するツイートを見た。オスの人間が、無痛を選択したメスの人間に対して痛みを感じるべきだと説いており怒った、といった趣旨のツイートだった。

その時は特に何も思わなかったが、いま寝る前になって「お腹を痛めて産んだ子」って変な表現だよなあと思った。どう考えたって、家族に対して腹立たしいとか、ネガティブな感情を持ったとして「でもあんだけ痛い思いをしたんだから」という思考が挟まる余地って無いのではないか。こいつマジでムカつくわ、殺そうかな、って思って「自分が痛い思いをして産んだわけだしやめるか……」とか考えないだろ。痛かっただけあってかわいい、というセリフも想像できない。コストや痛みがなければ人を愛せない人間はこの世にいるのか?逆に、痛みがあることで誰かを愛せるようになる人はいるのか?それを人は執着と呼ぶのではないか。

かくいう自分は、やっと最近になって隣人愛という概念がわかってきて、年下の人間は概ねクソガキとしか思えなかったが、最近はチームの若者が楽しそうにしているところすら愛おしいと感じる。あの笑顔を守ることがモチベーションにすらなっている。これは年下がガキじゃなくなっただけで中坊なんかがいるとぶん殴りたくなるのかもしれないし、ただの征服欲なのかもしれない。しかし、自分はすっかり変わってしまった。

コロナ禍の3年はただ引きこもって仕事をして思考をしてということに大半を費やして体感としては1年くらいしか経っていないような気がしていたけど、世界も自分も3年の間にまるっきり変わってしまっていて、最近はその事実に動揺している。というか、働き始めての7年間があまりにも長すぎた。この程度しか成長できていない、という気持ちと違う人間になってしまった、という気持ちとの両方がある。

同年代が中間管理職になるような年齢だし、職場は自分より年下の方が多いし、大人ってクソだなあと言うよりも言われる側になってきて、責任とはどういうことなのだろうと考えることも多い。そうやって追われているうちに流行りの音楽も文化も分からなくなっていて、中年に近づいていることを自覚せざるを得ない。体力や肌艶もそう。

でも、歳をとったことで脳は落ち着き、感受性に多様性が生まれ、人の気持ちが少しわかるようになってきて、楽しめることは昔より増えたかもしれない。全く裕福ではないが金銭的にも新卒の時よりは余裕がある。だから歳を取ることは案外悪くないなと思う。しかし、言い訳できないくらい大人になってしまった。私はこんなにもまだうじうじしているのに……