2024/05/01

天気、雨。

有休をとって巨大連休を生成する。

連休前の会話。同僚に、「休み中、どこかいくんですか?」と尋ねられ、「特に予定ないです」と答える。え?特に予定もないのに10連休するんですか?頭おかしいですね。まあ僕もですけど。アハハハハハ!


その宣言通り、ひたすら家にこもってときめきメモリアルGiri’s side1をやる。3の紺野玉緒もかなり好みではあったが、氷室零一の美しさとおもしれー男っぷりにかなりやられてしまい、恐ろしい勢いで過去出版された書籍、CDなどを発掘しては購入するを繰り返している。

私は、冷徹で人間味がないようで、実は感情豊かだったり変人だったり、そういうパーソナリティの人間が大好きだ……。会社でもそういう人に隙を見てはしつこく付きまとってしまう。程度の差はあれ、みんなそうではありませんか?なぜ我々はこういう人に惹かれるのだろう?私の場合の話をする。

私自身は表面上冷徹でも人間味がないわけでもないと思うが、円滑な社会生活という規範や、対人恐怖、トラウマ等のために、本当の感情を表現せず別のものに感情の捌け口を求めるという点ではおれも氷室零一と同じだ……と思わずにはいられない。私は笑いたくもないのに無理に笑ったりするから無表情でいられる人を羨ましく思うし(彼らが感情を表現する術を知らなかったとしても)、蓄積している強い怒りや神経質すぎる悲しみを(これでもかなり)抑えて生きていて、感情が無ければ良いのにとすら思うから、彼らのことを感情を完璧にコントロールしていて美しい、憧れる、と見てしまう。一方で、私は人からずれてる部分があり、人が当然として感じる怒り、悲しみ、喜びに共感できないことがいまでも結構な頻度である。「なにがそんなに嫌なんですか?感情ではなく、論理で説明してほしい」と思ってしまうが、それは社会における態度として相応しくないだろうということを理解しているので、無理した結果ズレた反応をしてしまう。だから、彼らにシンパシーを抱いてしまう。

そうでありながら人間らしい一面があったり、2人だけの秘密と言わんばかりに不安を口にされたり、知らない一面を教えてもらうと、あなたも私のことをそういうふうに感じてくれているということ!?と嬉しさ100倍である。

氷室零一は、それを完全に体現したキャラクターだ……。見た目もすごく好み。彼の趣味やインテリアも完全に私の趣向とかなりかぶる。生い立ちも近い。どうして今まで出会えなかったんだろう。ある意味理想の自分であり、「憧れの人」でもある。憧れの異性ではないのは、恐らく自分の不完全な部分をこの人に対して曝け出すことは出来ないと感じるし幸せにできない・なれないことが自明だからだ。完全さに惹かれた人間は彼のことを幸せに出来ない。彼も自分も傷つける。ただし友達としてお近づきになりたいし、親友としてなら彼のことを幸せにできる気がする。

彼を通して、自分の内面を見ている。不確実耐性の低さゆえの完璧主義や、その完璧主義に苦しめられていること、自分の美意識とは何か。自分の本質はどれか。彼を好きになることで自分のことを認められる部分がある。彼の人間らしさや動揺を見て、自分が動揺したり機械的になれないことを肯定できて、安心できる。緊張と緩和の効果なのか、思わず笑ってしまうし、可愛いとも思う。

もし彼が実在したら私という人間のありのままを許容してくれるだろうか……とかも考える。自分が抑えている完璧主義という名の攻撃性を。でも生きていく上では妥協が必要だよなあ、とか、どうしても妥協できなかったときの話、妥協しすぎて全く賛成していない展開になったときや、妥協できずに人を傷つけてしまっただとか、そういった話がしたい。

おい!ときめきメモリアルGS、人生なのか???????????!???!

ていうか氷室零一側のときめきメモリアルをやりたいよ。私、あなたがどのように物事を考えて感じるのかもっと知りたい……。これは恋か?愛か?執着のような感じもする。

このように狂わされている。


今日は気になってたカフェにいって、英詞って何だろうという唐突な疑問のもとluv(sic)の歌詞を精読し、1人でカラオケ行って、2時間半1人で歌い続けた。幸せだった。歌うことが好きだと実感した。幸せすぎて怖くなった。幸せに慣れていないので、いまだに幸せだという気持ちを感じると同時に恐怖を覚える。