会社をやめてきた。大人になってからこんなに悲しくて泣いたことあったっけと思った。というか、生涯通してないかも。悔しくて腹立たしくて泣いたことはあれど、喪失の痛み。今まで失わないように、傷つかないようにして生きてきたのかもしれないと思った。失っても悲しくないように、自分が片手で持てる大きさだけを抱えて、持ちすぎないように。荷が重くならないような選択ばかりして、重くなってきたら捨てて、失った時は大したことないからと言い。本当に大事なものだけを絶対に失わないようにだけしていた。
Jpopの歌詞のようだが本当にそういう人生だったと思う。何度も転校していると人間はこうなる。
自分の中で職場の存在がこんなに大きくなっているということに気付けていなかった。チームメンバーこそ愛らしかったけれど、仕事には完全に疲れ果てていて、人なら辞めても会おうと思えば会えるし、と思っていたから、何故涙が出るのかわからなかったけど、これは喪失の痛みなんだと、会社のパソコンを返す少し前にようやく気がついた。鈍感すぎる。ときメモGSプレイしてて氷室零一が自分の恋愛感情に気付いてないの流石に創作すぎる、と言っていたが一方の私はどうだか。案外人は自分のことをわかっていないのか?
とにかくこの数年は必死だった。自分が仕事に食らいつくために、チームが自分のせいで壊れないように、せっかく日本で就職することを決めた子たちが路頭に迷わないように。理不尽なことが大嫌いな私がいままでされて嫌だったことを自分のチームメイトにはしたくなかった。ただとにかくみんなが納得して仕事をして楽しい気持ちになって欲しかった。そのために自分が苦手なこともやったし、実感として「身を粉にした」と思う。正しさマシーンだった、とも思う。言葉はめちゃくちゃ通じていたわけじゃないけどきっとその気持ちは伝わっていたんじゃないかなと最後に思うことができた。なのに自分はそれを自ら失う選択をした。
文字通り、三日三晩泣いて、会社のSlackにもアクセスできなくなって、ようやく辞めたことが現実味を帯びつつある。
毎月1回、カウンセラーと話して心の整理を付けているわけだけど、そこで出てきたのは「使い潰された」とか「踏み荒らされた」「収奪された」といった言葉だった。過去にはやり切ったとか、ここまで出来れば自分に怖いものはないだろう、と感じてそれも転職する一つの理由になったわけだけど、やり切ったという清々しい気持ちよりも、疲弊、複雑骨折、という感じがしている。実際自分が転職するぞ、と思ったのは組織がやばかったからだし、これ以上頑張れないし、一回頑張るのを辞めたら二度と立ち上がれず自分が嫌な人間になる気がしたからだ。自分が良かれと思ってやっていること、耕したものを奪われた、という感覚。「何の景色が見えますか」とカウンセラーに問われた時に「荒地で、地面は硬くひび割れていて草は生え放題になっています」と思わず口を付いて出た。踏み荒らされた、とも感じた。周りの人に、会社に。
本当にサポートもなかった。ただ一人奮闘していたし、時々全然違う部署の人が通りがかりに、大変って聞いてますけど、大丈夫ですか?と聞いてくれるくらい。それにギリ救われていた。サポートどころか、暴言も吐かれた。執行役員から。私個人じゃなくて私の属していた組織を指してだけど。呆れた。現場は一人の人間の好き嫌いで物事の方向性が決まり、正論が通じなくなった。昔はそうではなかったのに。実は昔からそうだったかもしれない。唯一そこから時々守ってくれた人はとうに居なくなった。
もっと早く異動したり辞めれば良かったかも、とはいまになって思うけど、それはそれで自分から自信を奪う行為だったと思うから、これが一番早い行動だったのだと思う。嫌いなこと、苦手なことでもどうこうして成果をだし、自分の限界が知れたのは今だったので。
本当に本当に、悲しくて、どうしてこういう気持ちにならないといけないのか、ふざけるなと思うけど、こうもしなければもっと心がボロボロになっていただろうと感じる。今月からの人員配置を見て、本当に辞めることにして正解だったなとも思うし、色んな人の首が飛ばない限り、戻ろうとは思わない。会社の性格の悪い部分が出て変なことになっていたから、別の首になったとしても変わらない気がするから、もうあの会社に戻ることはないかも。全く、寂しいことだ。自分らしく振る舞い、仕事できていた場所を組織の自家中毒で失うなんてね。
