オチのない話たち

髪を切った。開発部になったし誰とも会わないし金髪にしてしまえ、と思っていたがさすがにやめた。手入れが面倒くさそうだし。普通に髪をザクザク切ってパーマをかけて帰ってきた。髪が短いとヘアスタイルが2ヶ月しかもたない。美容室には3ヶ月ぶりにいった。ボサボサの髪を切り倒したおかげでやっとすっきりし、人権を取り戻したような気持ちになった。
髪を切りに行くと、毎回のように「髪伸びたね〜多いね〜でも髪の毛は多い方がいいよ」という会話を毎回する。どこの美容室にいっても必ずする。今日はフリースタイルダンジョンの話で盛り上がった。

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最近毎日眠い。
慣れないことを毎日頭に叩き込んでいるせいだと思う。大学の同級生が「よく考えてる人は眠くなるらしい、夜中ずっと起きっぱなしのあいつは何も考えてねえってことだ」と言っていたのを思い出す。
新しい知識を獲得すると、ものすごく思考が活発になるが、思考が多動気味の日は自分でも収集がつかなくなって疲れ果てる。働き始めて7.5時間睡眠でもなんとかやっていけるようになったが、今は9時間くらい寝ないと午後に急に眠気に殴られて落ちる。さっさと帰ってゆっくり寝た日は比較的落ち着いて仕事が出来た。世の中の人は遅くまで働いていても翌日ちゃんとしていてすごい。ノイローゼ気味の思考を直せばもっと疲れないのだろうか。

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仕事、時間がないが焦っちゃいけないなと思った。今年はこれを何度も思っている。私は気持ちに余裕がないからすぐ焦って自滅する傾向がある。わからないことだらけなので、とりあえず腰を落ち着けて調査したりサンプルコードを読み込むとかしないと状況が改善しない気がしてきた。
プライベートでも勉強しなきゃなあと思いつつ、家に帰るとへとへとなので、無理せず勉強できる方法を考えたい。なにをするにしてもハードルを高くしすぎて長続きしないという悪い癖があるので、10ページだけ読むとか小さい目標にしよう。ほんと私は能力のないダメ人間なので、優秀な人みたいに毎日家でもゴリゴリ勉強します!とかは心が持たねえんだよな。1日休んだだけで全てが嫌になるし。あーこれが人生の諸悪の根源だよ。焦るなよ、自分の能力を過信するなよ。

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今年を振り返ると、「がんばるぞ」を目標に掲げて頑張りまくろうとしていたものの、本当年明け早々最悪で、iPhone無くすわmacの電源コードは断線するわ40度出るわ電波系に絡まれるわで、頑張れば頑張ろうとするほどドツボにはまるというひどい始まり方だった。
だから、「頑張らない方がいいのでは」と、行動量セーブしたり、目立たないように暮らしていたけど人生始まって以来くらい穏やかな時間を過ごせて良かった。
ここ3年は細木数子もびっくりするくらい「まさに大殺界だな!」という感じでしたが細木数子の言う通りだと来年はやっと回復してくるらしい。いやもう当たらなかったとしても本当そういう年にしたい。もう十分苦しんだし

バイトをやりすぎた話(後編)

なかなか書けなかったこれの後編を書く。

バイトやりすぎて・・・と書いたのですが、最初に言うと、病気だからバイトをやりすぎたんだと思います。

 

−店長が代わった後、4月ごろだったと思うが、就活もあったので月のバイト時間を60時間程度に減らしてもらった。就活中はバイトをしないという人も多かったが、ガチで命に関わるのでやっていた。もっと褒められてもよかったと思う

そんな就活も5月の半ばには終わってしまったため、それからの半月はシフトもあんまり入っていない、物凄く久々に退屈な日々をのんびりと過ごしていた。
とはいえ、大学4回生のこの無駄に贅沢な時間を無駄にしたく無いという思いがあり、6月からは元どおりバリバリ働いてお金を貯めて、一人で山陰へ旅行に行くぞ、と計画を立てていた。

ところが6月に入っても全然シフトが入らないのだ。
とくに店長が変わった後で、人が増えたわけでもないので、周りへの負担が増えていた分元に戻っていいはずなのに、戻らない。

この店長が曲者で、本当にひどいシフトの配分をするやつだった。希望日すべてにシフトを入れるという希望はだいたい叶えてくれるが、全員の希望を叶えた結果、シフト1日3時間、みたいな日が増えた。1日一人7時間だったシフトを3・4で分けたり。私は通勤に片道1時間かかるんですけどね。
なんでワークシェアリングしてんだよ、てめえはオランダ人かと。労働経済ギャグは置いといて、おそらく、あいつは「パートやバイトから嫌われたく無い」という思いが強かったのだと思う。

というわけで、出勤日は減らないが労働時間が極端に減る、という謎の現象が起こってしまったのだった。その後、その店長はモラハラ・パワハラなどで8月にクビになるのだが、まあその話は置いといて、その間に私の心身に変化があった。

今までバイト・大学・サークルと、体力無い無いと言っておきながら何だかんだエネルギーに満ち溢れる生活を送っていたのに、ニート同然の時間を送るようになってしまって、エネルギーの行き場がなくなってしまったのだ。大学の授業があればよかったのだが、就活あるからなー、と週1のゼミしか履修していなかった。

そのエネルギーは自分自身に向かうことになり、ちょっとした体の不調などが異常に気になるようになってしまった。なんとなく喉のつかえを感じたな、というのがずーっと気になると。気になりすぎて食事も喉を通らない。耳鼻咽喉科に行っても特に何も言われないのに、それでも気になる。ヒステリー球という言葉を後に知った。ようはメンタルから来るものだった。

他にも、何か不調があったら重大な病気なんじゃ無いか・・・と不安になったり、気が狂うんじゃ無いか・・・と不安になったりしていた。自分がどんな仕事をするのか、これからどんなところに住むのか、親は大丈夫なのか、とか、ずーっと不安だった。いいよな、お前は就活終わっててさ・・・といろんな人に皮肉を言われたりして、物凄く不安だったのに、誰にもその不安を打ち明けることが出来なかった。自分は周りと違う業界を受けていたから話にもついていけなかったし、就活終わった人はいいよな〜とか言われるのがすごく嫌で、友人たちとも距離が開いていった。

そんな日々を過ごす中、7月の終わりに、全身が痛い症状に襲われて大学の内科に駆け込んだ。何か重大な病気かもしれない、と思った。自分の症状を話したり診察を受けている中で、「たぶん心因性ですね、もし何か続けばまた診察に来てください」、ということを言われた。

なにも症状が続かなかったので、内科に行くことはなかったが、その代わりに2週間後に心療内科に行く羽目になった。自分が衝動的に何か過ちを犯してしまうのではないか、という強い恐怖感で外に出れなくなってしまったのだ。恐怖は感じつつも、「あ、これは病院に行かなければいけない、おかしいとはわかってるのに怖い、頭がおかしい」と判断をして、自分で病院に行った。もちろん症状が始まったばかりなので診断は下りなかった。でも自分で調べてこれは強迫性障害なのではないか・・・?と勝手に結論付けた。症状に身に覚えがありすぎた。過去にもやり過ごしてきたがこういうことがあった・・・しかも小さい頃から。2、3週間たって大学の心療内科に、その旨を相談したら、その可能性は高い・・・と言われてしまった。

その後、カウンセリングに通ったり本を読んで勉強して、自分でコントロールはして仕事中は出ないが一人でいる時に、同様の症状が出るようになってしまった。今でもそうだ。別の病気でも同様の症状が出るので、本当はそっちの病気なのでは無いか?という強い不安に襲われることも多々ある。1月のうち半分くらいはそう。

こういった病気になる気質の人は、不安から逃れるために長時間労働に陥ってしまったりするらしい。以前の私も、今思うとそうだ。家庭や自分の将来や環境の不安から手っ取り早く逃れるために、バイトといううってつけの材料を使った。そして長時間労働にはまり込んで行った。その代償に体を痛めたり、より精神的に不安定になってしまったりといった事態を招いてしまった。

日常生活に支障が出る症状については、バイトがきっかけだっただけで、遅かれ早かれそういった目にあってたと思う。では、どうすれば健康的に毎日が送れたのだろうか?

それは現実と戦うことだったのではないだろうか、と思う。

現実にある不安、例えば将来の不安とか、学業とか、自分自身のだらしなさとか、そういうものに目を向けず、そこまでしなくてもいいバイトにのめり込んだり、空想の不安(強迫行為)に逃げ込んで、戦わずに今まで過ごしてきたのが、こういった事態を招いたのでは無いかと思う。

人間は楽な方に流されてしまうので、現実と戦うなどとしんどいことをせずに、不安を作りだして動かない方が楽だとインプットされてしまうとなかなか離れられない。今の私もそうだ。

妻子がいるのにやたらと長時間労働するおっさんとかもいるが、あれは家庭の不安から逃げるために働いているんだろうなーと。今はそれでいいかもしれないが、退職した後にそのツケが来るんだよなあ、という目で見てしまう。もちろん目的意識がある残業なら仕方ないと思うが。

今でも、家で家事したり飯作ったり、散らかった部屋を目の当たりにしなければいけない、という現実から逃れるために残業したくなったり、人に会いまくってるが本当に良くないなあと思う。

現実は厳しいが、戦わないと本当の安寧や幸せは訪れないと思っている。
ちゃんと目的意識を持って人生を過ごさねば、苦しいまま人生を終えるのだろう。

 

この1年半、私を助けてくれた本を紹介します

自立と依存の心理ー加藤諦三

あるがままに生きる 森田療法の心の処方箋

不幸になりたがる人たちー春日武彦

加藤諦三と森田療法の本は、不安が強い人とか生きづらい人はすごくハッとさせられると思います。春日武彦の本はそういう人ももちろん、誰でも楽しめると思う

エンジニアになるぞ

正式に開発部へ配属になり、エンジニアとして社会人としてのキャリアをスタートすることになった。

ここまでの8ヶ月の間で、編集という仕事に適性を見出してしまったので、開発部に希望は出しつつも「本当にこれで良いのだろうか…」とずーっと思っていたが、開発部に入ったのでこれでひと思いに勉強できる。正直ホッとした。

周りがそういう環境じゃないと、なかなか技術の勉強しよう、という気持ちになれないが、今こうしてエンジニアとして職務を与えられたので、やるなら全力でやるぞ〜!と思っている。

何書こうとしたか忘れちゃったな。

最初はバリバリサーバーサイドとかを書きたかったんですが、いや書くんだけど、将来的にはUI/UX〜マーケティング・プロモーションが出来るような人になりたい。自分の強みとかよくわかんなかったけど8ヶ月仕事してきて周りを見ていると「あ、自分って人よりユーザーの気持ちわかる方じゃない?」と思えたので、そういった強みを生かせるようなポジションに行きたい。ていうかなんでも出来るようになりたい。

人より技術に対する飲み込みは早くないけど少しでも早くエンジニアをちゃんと名乗れるように頑張るぞ〜

バイト頑張りすぎて病気になった話をします(前編)

人は案外強いが、ダメになるときはダメになるという話です。

2年ほど前、週4〜5日、バイトで1日実働7時間半、接客をしていた。
月で換算すると110時間労働で、ギリギリ雇用保険が適用にならない範囲で働いていた。
その間に週3,4日大学に行きながら、当時国家公務員1種の勉強もしていたので、なかなかハードな生活だった。

それ以前はバイトがもうちょっと少なくて、月70〜80時間くらいだったのだが、急激に人手不足が加速して、「どうせすぐ補充されるだろうし、少しの間なら我慢するか」と妥協していたのだが、せいぜい数週間くらいだろうと思っていたそれが3ヶ月ほど続いた。

変化は思ったより早く現れ、
最初は背中を痛め(ぎっくり)、数日寝たきりになった。
そのあとくらいから、感情の揺れ動きが過剰になり、授業中に突然涙が出てくるようになった。もともと感情の波は激しい方だったので、そんなもんだろうと思っていたが今思うと異常だった。
さらに、神経痛を発症し、ストレスが溜まると脇腹が痛むようになってしまった。

しかし、そんな中でも何故か私はバイトに入ることを拒否せず、月100時間働き続けることを選んだ。
大学の授業料も自腹だしお金無いから仕方ない・・・と文句を言ったり、人手不足可哀想だし、何だかんだ「やりがい」もあるし・・・と言い訳しながら。
接客って、コミュニケーション苦手な自分としては、好きじゃ無いけど楽しいことも割とあったし、バイト仲間とわいわいやるのも面白かった。

そのうち、あれだけ長時間働くのが辛かったのに、「月100くらい入れるかな・・・」とシフトをドキドキしながら毎月確認するようになってしまった。

もちろんそうやっている間も神経痛は続き、体温は調整できなくなった。

リクナビ2016がオープンして少し経った後、私のシフトを極限まで入れていた店長が変わり、別の店長が来た。色々あってシフトが大幅に減った。

体のこと考えると、本来なら喜ぶべき事象だった。しかし本当の苦しみはその後に訪れるのだった。

後半に続く(キートン山田)

なぜこんなに息が出来ないのか

飲み会で貧血が悪化してきて過呼吸を起こしてしまった。
あー、人前でこんなんダメだ、とか考えてると情けなくて涙が出てきて、抑えようと思うとさらにコントロールできなくてもう最悪だった。

テンポの速い会話がとても苦手で、上手く返すことが出来ないけど言いたいことはいっぱいあって、でも何も言えなくて、自分なりに考えていることはたくさんあったのだけど何一つ言えなくてすげー悔しかった。そしたら発作が出てきた。泣きだすとかもうダセー。これ以降完全にメンヘラのレッテル貼られるじゃん。腫れもの扱いだよ。仕事嫌だと思ったことない?って聞かれてなかったけど今すごく嫌だ。

病弱だけど仕事頑張りたくて、
でも私はすぐオーバーワークになって体調崩して迷惑かけて体調管理が云々とか言われるから、とりあえず自分のキャパを増やして時間内に120点取れるような人になりたい、
そんでもっと働けるようになりたい。
大学時代にプライベート惜しんで年間休日10日くらいで勉強とバイトしてたけど、一方今余裕のある時間で本を読んだり手芸したり、何も考えずに空を眺めている時間がすごく幸せに感じている。
そのバイト真っ盛りの時はめちゃくちゃ楽しかったけど結局病気になり怪我をして病弱さを痛感したので、自分は少なくとも病気が治って人並みに生きれるようになるまでは、無理するよりは健康も気にしつつ無理しない方向で頑張る、というのが最近の傾向なんですが

まあそんなの上手く言えないし伝わらないしどうせわかってもらえない、どうせ病気を理由にするなとかなる!
こういう時に言葉の瞬発力があって声がでかければ良いんだけど。
内向的だしコミュニケーションは取れないし、いっそハンデがありますという診断書が出た方が楽だと思うことが多い〜〜〜〜〜!!!!!!

死ぬほど働くかセーブするかは会社入ってからずっと課題だけどいろんな人に色んなこと言われるしもうわけわからん、助けてほしいしどうせこれもメンヘラとか言われるんですよ。普通に生きてえ〜〜〜普通に生かせてくれ〜〜〜〜〜〜