大学を卒業して社会人になった

無事大学を卒業しまして、兵庫の片田舎を出て東京都内に引っ越してきて一昨日から会社員。
一人暮らし大丈夫かよ、と思ったけど案外平気。掃除も料理も楽しい。ただキッチンが狭すぎて片付けが大変。

大学に入ったときは大学院に行くつもりだったので、まさか会社員になるとは思いもしなかった。
「ショムニ」の世界のOLみたいなのが私の中で最も嫌な進路だったので。
大人になるにつれて会社員はあんなのばかりじゃないと気づいたけど。

にしても大学生活はとても大変だった。楽しいこともあったけど「色々あったな」という気持ちの方が大きい。週4とか、多いときは週5でバイトして大学通ってそこそこの成績取って・・・みたいな生活だったので。そんな感じで必死だったから、やりたいことやったぞーという感じでもなく、妥協に妥協を重ねた4年間だった。
それでも人には恵まれたこともあって、たくさん勉強出来て、そのおかげで希望の進路を探し出して進むことが出来たので幸せだと思う。
あと、そんなハードな4年をやりきったぞ、って感じでちょっとした自信になっている。
会社員としてもそんな感じで頑張りたい、人に恵まれるような面白い人になるのが目標だろうか

案外一人も平気だぞーとか言いつつハードロックばっかり聞いてるのでやっぱりどこか不安なんだと思う、安定してるときはピアノ曲とか聞いてるので

上手く言えなかったこと

大学生活を振り返る日記、今回はサークルの話。

高校時代は軽音部に入っていた。部内一番楽器が下手だった割に物凄く生意気で暴れ倒していた今思えば公害みたいなやつだった。当時からずっと凛として時雨やら、バンアパやらが好きだったのだが、女子校なのでそんなものが出来るわけもなく。だからライブでギターを投げたり振り回すことで発散していた。
その鬱憤が溜まっていたので、大学に入ったら軽音部(もしくはサークル)に入ってオリジナルとかをやりたいなーと思っていた。ギターに限らずベースとかドラムとかでもよかった。プログレとか、アンビエントとかエレクトロニカ的なものに興味があって、そういうのがしたかったんだけど、入った大学ではそういうのをやってるサークルが一切無かった。tofubeatsを排出した音研は行ったものの既に入っていた同回生気が合わなかった。

そんな中、入学式で出会った友達についていったスノボのサークルの新歓で、今のサークルの先輩にあたる人に出会い、各軽音サークルの悪口を吹き込まれた挙句、「ギターできるならうちに来なよ」と渡されたのがJACKというアコースティックギターサークルのチラシだった。

正直、その時は興味が無かった。おれはエレキが弾きたいと。アコギやるサークルとかどうせコブクロとかスキマスイッチとか流行りのJPOP好きな奴しかいないんだろうな、絶対気が合わないでしょと。でもアコギやったらギター上手くなるって言うしゼロから始めるのもありかな〜けど気合わなさそう〜。無いな。

で、その興味無いサークルへ行ったきっかけは、当時はまあまあ仲の良かったゼミの友達が同じチラシを持って「おれここ行こうと思ってる」とか言うから「お、なんか縁があるかも」と思って付いていったのだった。

そしたら案外楽しかったのだ。当時4回生だった先輩がもう無茶苦茶で、文科系の新歓を文科系の最上級みたいな方法で盛り上げてくれた。今まで行ったどの部活やサークルよりも笑いが溢れていたし、自分も楽しかった。どの先輩も優しいし、好きな音楽の話ができる先輩もちらほら居た。
しかもアコギは思ったより奥が深かった。「実は好きな音楽できるのは軽音じゃなくてこっちじゃないの?」と思い、形は違うけど、そこに入ることにした。

後に認識する同期も良かったけど、私はとにかく先輩っ子だった。こんだけキツイ性格なので、先輩方にどう思われていたかは知らないけどとにかく先輩は本当にみんな好きだった。先輩方には本当に色々と良くして頂いた。一緒にサークルの外でバンドも組んでもらったし、いろんな話もして頂いた。

けれど自分は、同期にも後輩にも何一つ出来なかった。
めちゃくちゃ負い目がある。楽しませてあげられなかった。
自分のアルバムを見たり、最後の日に後輩と喋っていても「最初は怖かった」とか「毒舌だった」とか書いてあって、本当にゴメンなさい、と心底思った。多くの後輩とは最後まで上手く仲良く出来なかったし、自分から気づかないうちに近づきづらい壁を作ってしまったんじゃないかと思う。
先輩っ子だったのもあって、先輩が卒業していくうちに居場所が無くなる感じもしてたし、誰とも話さずにギター弾いてるかスマホいじるか、さっさと帰るか、みたいな日が増えて行って、でも自分からは仲良く出来ないからもう心の壁をどんどん高くする日々だった。もう自分さえよければいいやみたいな時も少なくなかったかもしれない。文句もたくさんいったし終盤はもう悪態しか付いてなかった。

自分なりにこうしたい、ああしたいと思ったこともあったけどなかなか苦しくて早々にそういうのはやめたんですけど、もうちょっと自分の熱意とか通したり処世術を学んでいればいろんな場面でもっと濃いものが出来たし楽しませてあげれたな、って思う。本当に後悔しかない。

それでも送り出してくれた後輩には優しい言葉かけてもらえて(お世辞かもしれないけど)驚きました。ファンですとか言ってくれたの本当に嬉しかったです。
私みたいな先輩にならず、私を反面教師にして自分がしてもらったら嬉しいことをしてあげれる先輩になってください。

ありがとうございました。

そのお金誰が出すの?

「保育園落ちた日本死ね」というはてな匿名ダイアリーの記事が話題になっている。

社会政策ゼミに入っていて、女性活躍とは切っても切れないテーマで卒論を書いた私としては、非常に興味深い話で、「やっと政策論争のテーマに上がるようになってきたか」という感慨深い気持ちを持ってニュースを眺めている。

Twitterのタイムラインに上がる頻出意見として「国がもっとお金を出せ」というものがある。お金を出す対象は自治体が運営する保育園だったり、保育士の給与だったりである。
私はこれは手放しで賛同は出来ないと思っている。
「お金」というのは税金なのであって、国がそれに対してお金を出すということは、私たちも負担しなければいけないということだ。
保育園を欲しい人たちにとっては「そんなの負担するさ」という話なわけだが、高齢者や子どもを持たない選択をした人、子育てを終えた人、子どもを幼稚園に通わせるという選択をした人にとっては「は?」なのである。そこで「じゃあどっちが得するか決めよう」というのが選挙。

こういう社会問題の話題で嫌なのは、すぐ「国が金を出せ」という論に着陸してしまうことだ。その金は誰の金か?という議論がない。もっと言えば、なぜそんなに保育園を作るのにお金がかかるのか、保育士の給料がそんなに低いのは何故かとか、社会福祉法人の偉い人の給料っていくらくらいなんだろうね?みたいな話すらない。保育園だけじゃなくて介護施設や年金や福祉関連の問題すべてに適用できる話。

この問題を解決しようと思ったら間違いなく次の選挙を逃すとやばいので、どんどん炎上させないといけない。ここまでひどい状況になったのは間違いなく有権者の責任。投票してくれる人たちが儲かるように政策は作られているということを忘れてはいけない。ちゃんと私たちが騒いで選挙区の議員にたれ込めばマニフェストになる。
ただ、乱暴に「保育園を作りまくれ!」とかじゃなくて、「労働と育児を両立したいと考えている人たちが、それを実現するための最適解は何か?」をしっかり考えてから騒ぐべき。「保育園を作る」ということは目的じゃなくて手段だからだ。
既存の保育園の枠組みを出る場合もあるし、もしかしたらベビーシッター的なのがいい場合もあるかもしれない。そういうことをじっくりと議論できる場があればいいなあ。

優しくないのに優しくする人の話 他

昨日まで3日間岡山に行っていた。
団体で行ったにも関わらず普通にマイペースに楽しんでしまった。本当に協調性がないな
最近知らない街を見ると「ここに住みたいか」を自分に問うのだけど、岡山は住みたいなと思った。県庁所在地が中核市くらいの規模っていうのがちょうど良い。後楽園は散歩するのにすごく気持ちが良いところだったし、倉敷も良かった。定年後に住もうかな。死んでるかもしれないけど

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帰ってきて今日、大学の後輩二人と会って食事した。うち一人はヨッピーさんの講演会経由で私のことを知ったらしく、学内で急に話掛けられて友達になった。せっかくの出会いなので、ということで飯食ったけど、今まで出会った学生の中でダントツで優秀だった。しかも知識や行動力に人間性が伴っている。
私が大学で出会った優秀(とされている)な「意識高い系」や「優等生」のほとんどは、知識や行動力を持っていても、それらは自分を誇示するためだったり劣等感を隠すための武器にしていた。だから純粋にそれを手にすることが出来た彼に尊敬の念を抱いた。やはり自分の闇や弱さと向き合って戦うことが出来た人間は強い。そこでやっと真に誰かのために動くことが出来るようになるのだろう。休学して世界を放浪しに行くらしいけど無事に帰ってきて欲しい、その暁には叙々苑でその思い出話を聞きたい。

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本当は優しくない人が優しいふりをしているのは良いのだろうか。「ほら私こんなに優しいですよ!」っていう振る舞いをしている人。個人的には良くないと思うし嫌だ。それは嘘つきではないか。だけども嘘でも優しくすることで本人も利益を得る可能性が高いし、多くの人が嬉しい気持ちになる。
でもそういう人の優しくないところはふとした瞬間に見えてしまう。酒の席なんかは特にそういうものがあらわれやすい。自分のことしか考えてないなーとか。そのときのガッカリ感と言ったら。まあそのあと自然にこういう人とは距離を置いて付き合おーってなっていくし、どうせなら優しくない人はもう優しくないよと正直になった方が良いんじゃないか。べつに優しいだけが人の取り柄じゃないし。本当の優しさを手にいれるのは案外難しいなと最近思うし、人のそれを見分けるのは難しい。最近発見した「本当は優しくない人の見分け方」は「自分を大切に出来ていない」こと。

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物質でしか自分を肯定できない生き方はもしかして間違ってないか?

30分の持ち時間で12曲演奏するバンド、ふぁんくきばやし

初期のふぁんくきばやし

ほとんどの曲は1分から2分くらいの長さ。そして同じくらいの長さのMCをして、また1、2分の曲を演奏する。聴きやすいコード進行にキテレツな歌詞。
ライブを1度見た者の心を掴んで離さない、今関西で密かに熱いロックバンド、「ふぁんくきばやし」。
メンバーとファミレスで飯を食ったついでにインタビューまがいの事をしてきた。
ふざけた回答が帰ってくると思ったのに、めちゃくちゃ真面目なことを言われてうろたえました。

「ミスチルに影響を受けてる」

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左:Gt/Voキバヤシ 右:Ba/Choジュニア 普段は二人とも会社員

−そもそもふぁんくきばやしって何に影響受けてるんですか?

キバヤシ:ミスチルやなあ。

−意外すぎる名前が出てきた。

キバヤシ:俺の音楽はミスチルがルーツやから。
中3のときにカラオケで同級生が歌ってた「終わりなき旅」聴いて「めちゃめちゃいい曲やん!誰が歌ってるんや!」って。それがミスチルとの出会い。

とてもじゃないけどミスチルの影は感じない、笑わせるつもりしかないだろ、という曲

−ほかになんか影響受けたバンドってありますか?

キバヤシ:ベボベ(Base Ball Bear)とエルレ(ELLEGARDEN)。ギターの音とかはほんまにベボベの影響受けてる。
「裏切るようで悪いけど」なんかは特にそう。(https://creofuga.net/audios/player?color=black&id=60148)

きっかけはアニソンと文化祭

−ギターを始めたのは中3のときにミスチルに出会ってすぐですか?

キバヤシ:いや、高校3年の時やな。高校の文化祭で見たライブがきっかけで。あとはアニソンをコピーしたかってんなあ。
そのあとは大学入って軽音サークルで2回ライブして。そんときはオリジナルじゃなくてエルレのコピーをしてた。「マジ、生きてる」っていう感じ。

−コピバンをしてたキバヤシさんがオリジナルを作り始めたのはいつからだったんでしょうか。

キバヤシ:2009年!大学3年のとき。オリジナル限定のライブで、出演料タダだったから当時のアコギサークルのメンバーと組んで出た。ちなみに本番2週間前にライブの関係者に告ってフられて超気まずかった中ライブした(笑)
・・・で、本格的にオリジナルを作り始めたきっかけっていうのが、先輩のために作った卒業ソングで先輩とか後輩が泣いてくれたっていうこと。
「自分の作った曲がこんなに人を揺さぶれるんや」っていうのが作曲のモチベーションになって、そこから「真面目な」曲をたくさん作っていった。

−いまのふぁんくきばやしからは考えられないですね。最初は真面目だったんだ。

キバヤシ:そう!結構作ったんやけどそれはウケなかった。全くダメ。でも、同時並行でやってた「ふぁんくきばやし」は滅茶苦茶ウケた。それが2010年3月のこと。真面目な曲が受けへんかったのは、「人の心を揺さぶれないしょうもない曲」やったんやろな。ふぁんくが受けたのは「楽しい!」っていう気持ちを揺さぶれるものだったんだろうなと思った。
そこから自分が音楽で何やりたいか考えるようになって、それで「フェスとかでみんなが盛り上がってるのとか楽しそうやなー」とか思ったりして。「喜怒哀楽」の「楽」を路線にし始めたのはそのあと位かな。

−めっちゃ真面目じゃないですか!

キバヤシ:真面目やろ!嘘じゃなくてこれが俺のいまのポリシー。

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時々ふざけたり秘密の暴露をされながらインタビューしてました

 

−ちなみに歌詞やタイトルのコンセプトは何でしょう?アルバムのタイトル、「GEYOTASAN」とかなんだろう・・・って思うのですが。

キバヤシ:あ、ゲヨタさんは大学の文芸部に居た人。俺は文芸部じゃないけど友達がいて、そいつに「これ(ゲヨタさんのエピソード)で曲作って」って言われて、それが「ふぁんく」の最初の曲になった。しばらくは「ゲヨタさん」で曲作れたんやけど、当然ネタ切れになってくるから、今は生活で見聞きした事や気に入ったキーワードを膨らませて書いてる感じ。
(cf 「あかん思うでぇ」https://creofuga.net/audios/player?color=black&id=60146)

 

知らん人の曲を何分も聴くのはしんどい

キバヤシ:あ、忘れとった。俺曲作りで大事にしてることがあって。
アマチュアのライブとか行って、AメロBメロサビ、の繰り返しで4分5分とかで、それって世に出てる有名な曲と同じ構成なわけじゃん?それ聞いてて思ったのが「1番だけでいいんちゃう?」って(笑)しんどいやん。

−言われてみればそうですね。

キバヤシ:5分くらいの曲を5曲くらい聞いてもらうのと、1分くらいの曲を12曲くらいやるのと、どっちがお客さんの心を掴めるかって言ったら、12曲の方やん?下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるっていうか、
12曲中1曲でも、良いのが見つかればそれを拾ってやってください、って。1分の曲やって、1分MCを繰り返したらフルアルバム聴いたみたいな満足感が得られる(笑)
ふぁんくきばやしの曲が短い理由はそれ。

−ホスピタリティに溢れている!お客さんのことちゃんと考えてる。

キバヤシ:AメロBメロとかっていう構成にするのは有名になってから、いまは自分のバンドを知ってもらうのとお客さんに楽しんでもらうことが先。

−全力でふざけたスタイルなのもちゃんと理由があるのか!

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最近スケッチブックに曲名を書く漫談スタイルになったらしい

ー最近精力的にライブ活動してるらしいですけど、何か変化はありますか?

キバヤシ:ライブで対バンしたバンドの子がDJしてる小田原のラジオに出た。

ーえ、すごい。

キバヤシ:そのバンドの子が「帽子のてっぺん取れてる」って曲をずっと流しててくれたみたい。そしたらリスナーが「帽子のてっぺんが取れてるだけの曲が気になります」って問い合わせをしてくれた(笑)それがきっかけで、電話出演したり。
あとは大きな変化はないけど、ふつーのバンドマンの大学生たちにCD下さい!って囲まれたりするし、出るライブではもう大体笑ってくれたり安定感出てきた。京都以外で、やけどな。京都ではもう二度とやりたくない。(以下京都であった悲しい話)

−・・・今後新曲に予定やライブは決まってないんですか?

キバヤシ:今三曲作ってて、ライブは未定!でも夏を目標に東京でライブしたいと思ってます!

−ついに東京進出!東京でふぁんくが聴ける日を楽しみにしてます。

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このあと現金を下ろすのを忘れて財布に130円しかなくて二人におごってもらいました

ふぁんくきばやし・・・2010年3月、Gt/Voのキバヤシが宅録でCDを作り始め、徐々に楽器が弾けるメンバーを増やしながら今の体制に。昨年夏にキーボードが加入してメンバーが4人になった。聴いてすぐに「唯一無二」を確信できるふざけた曲が老若男女の心を掴んで離さない。
音源集:https://creofuga.net/19897
Twitter:@fk_kiba