バイト頑張りすぎて病気になった話をします(前編)

人は案外強いが、ダメになるときはダメになるという話です。

2年ほど前、週4〜5日、バイトで1日実働7時間半、接客をしていた。
月で換算すると110時間労働で、ギリギリ雇用保険が適用にならない範囲で働いていた。
その間に週3,4日大学に行きながら、当時国家公務員1種の勉強もしていたので、なかなかハードな生活だった。

それ以前はバイトがもうちょっと少なくて、月70〜80時間くらいだったのだが、急激に人手不足が加速して、「どうせすぐ補充されるだろうし、少しの間なら我慢するか」と妥協していたのだが、せいぜい数週間くらいだろうと思っていたそれが3ヶ月ほど続いた。

変化は思ったより早く現れ、
最初は背中を痛め(ぎっくり)、数日寝たきりになった。
そのあとくらいから、感情の揺れ動きが過剰になり、授業中に突然涙が出てくるようになった。もともと感情の波は激しい方だったので、そんなもんだろうと思っていたが今思うと異常だった。
さらに、神経痛を発症し、ストレスが溜まると脇腹が痛むようになってしまった。

しかし、そんな中でも何故か私はバイトに入ることを拒否せず、月100時間働き続けることを選んだ。
大学の授業料も自腹だしお金無いから仕方ない・・・と文句を言ったり、人手不足可哀想だし、何だかんだ「やりがい」もあるし・・・と言い訳しながら。
接客って、コミュニケーション苦手な自分としては、好きじゃ無いけど楽しいことも割とあったし、バイト仲間とわいわいやるのも面白かった。

そのうち、あれだけ長時間働くのが辛かったのに、「月100くらい入れるかな・・・」とシフトをドキドキしながら毎月確認するようになってしまった。

もちろんそうやっている間も神経痛は続き、体温は調整できなくなった。

リクナビ2016がオープンして少し経った後、私のシフトを極限まで入れていた店長が変わり、別の店長が来た。色々あってシフトが大幅に減った。

体のこと考えると、本来なら喜ぶべき事象だった。しかし本当の苦しみはその後に訪れるのだった。

後半に続く(キートン山田)

なぜこんなに息が出来ないのか

飲み会で貧血が悪化してきて過呼吸を起こしてしまった。
あー、人前でこんなんダメだ、とか考えてると情けなくて涙が出てきて、抑えようと思うとさらにコントロールできなくてもう最悪だった。

テンポの速い会話がとても苦手で、上手く返すことが出来ないけど言いたいことはいっぱいあって、でも何も言えなくて、自分なりに考えていることはたくさんあったのだけど何一つ言えなくてすげー悔しかった。そしたら発作が出てきた。泣きだすとかもうダセー。これ以降完全にメンヘラのレッテル貼られるじゃん。腫れもの扱いだよ。仕事嫌だと思ったことない?って聞かれてなかったけど今すごく嫌だ。

病弱だけど仕事頑張りたくて、
でも私はすぐオーバーワークになって体調崩して迷惑かけて体調管理が云々とか言われるから、とりあえず自分のキャパを増やして時間内に120点取れるような人になりたい、
そんでもっと働けるようになりたい。
大学時代にプライベート惜しんで年間休日10日くらいで勉強とバイトしてたけど、一方今余裕のある時間で本を読んだり手芸したり、何も考えずに空を眺めている時間がすごく幸せに感じている。
そのバイト真っ盛りの時はめちゃくちゃ楽しかったけど結局病気になり怪我をして病弱さを痛感したので、自分は少なくとも病気が治って人並みに生きれるようになるまでは、無理するよりは健康も気にしつつ無理しない方向で頑張る、というのが最近の傾向なんですが

まあそんなの上手く言えないし伝わらないしどうせわかってもらえない、どうせ病気を理由にするなとかなる!
こういう時に言葉の瞬発力があって声がでかければ良いんだけど。
内向的だしコミュニケーションは取れないし、いっそハンデがありますという診断書が出た方が楽だと思うことが多い〜〜〜〜〜!!!!!!

死ぬほど働くかセーブするかは会社入ってからずっと課題だけどいろんな人に色んなこと言われるしもうわけわからん、助けてほしいしどうせこれもメンヘラとか言われるんですよ。普通に生きてえ〜〜〜普通に生かせてくれ〜〜〜〜〜〜

不幸になりたがる人々と、占いに行く精神科医の本を読んだ

アプリ作るためにSwift書いていたらMacが古いせいで遅すぎてやってらんないので、代わりにブログを書くことにした。

こないだの三連休中に本を何冊か読んで面白かったので2冊紹介します。
どれも春日武彦の本ですが


不幸になりたがる人たち 自虐思考と破滅願望

ちょうど1年くらい前、もの凄い破滅の強迫観念に襲われて危うく人生が終了するところだったのだが、その強迫観念を分析した結果が「幸せになることが怖い」という気持ちが自分の中にある、ということだった。
それで「幸せ 怖い」みたいな感じで調べてて見つけたのがこの本だったのだが、当時はあまりに元気が無くて読めなかった。そのことを急に思い出してすぐ買って読んだのだが、非常に良かった。さっさと読んでおいたほうが救われたかもしれない。

正直読書感想文とか得意じゃないが、一言でこの本を要約するならば「人は大きな不幸が来る前に小さな不幸を起こして安心しようとする」ということだ。
誰しもそういう願望が心のどこかにあり、時に生物として不自然で異常な行動を起こしてしまうのだという。

その説明を読んだ時、非常にしっくりきた。1年前の自分と同じだと思った。
ことごとく人生で挫折を重ねていた私が、行きたい会社の内定をもらうことが出来て、初めて人生がうまく行ってしまっていた。
しかし、「こんなラッキーなことがあったらあとは真っ逆さまに落ちていくだけだな」という不安な気持ちも同時に抱えていた。その不安に答えるかのごとく湧き出てきたのが破滅願望だったんだろうな、とこの本を読んで納得した。

今思うと、その人生の挫折も今思うと自分で選んだとしか思えない。
成績が良く、多分公立の進学校に入れてしまうぞ、ということが分かるとどんどん勉強する気が起こらなくなり、結局滑り止めにしか合格できなかったり、
センター試験は上手くいかなかったものの、第2志望の公立大学には行けそうだぞ、となると2次試験まで遊び呆けてしまったり。センター前は1日15時間くらい勉強していたのに。
上手くいくと、親に過剰に期待されるという不幸が待っていることを経験的に知っていたからわざと失敗して「それなり」のところを選んだんだろうと思う。

そういう人生の節目節目で、このようなことを起こしがちなので会社から掛かってきた電話も「不採用のほうが安心するな」と思っていたくらいだ。冴えない人生に慣れ過ぎていて、急に明るい人生がやってくることを落ち着いて待ち構えることが出来なかった。

もし、この本を当時読んでおけば「人間って誰しもそういう特性を持っているのか」ということを学んで、泥沼に嵌らずに済んだかもしれない。みなさんも奇行に走りそうな自分が怖くなった時はこの本を読んでしっくりきましょう。
まあこんな精神状態に陥ってしまう人ってそうそう居ないと思いますが。


鬱屈精神科医、占いにすがる

春日武彦の本としては4冊目に読んだ本なのだが、先述の本と同じ著者が書いたとは思えないエッセイ。
この人は非常に口が悪く、淡々と言葉を書き連ねていたかと思いきや、「お前の汚わらしい目玉にボールペンを突き立ててやるから覚悟しておけよ」などと言い始めるので愉快なのだが、そんな人の「不安」「狼狽」が鮮やかに描かれていて「言葉ってすげえな」と思ってしまう。

この本は「占い」がテーマかと思いきや「心の救い」がテーマの本である。
精神科医が狼狽えて、占いに行くというのは最初だけ。

単純に「精神科医も人間なんだな」という感想もあるのだけど、描写される心象風景や出来事に自分との相似を感じ、そしてそれに対する解釈にすごく救われた気持ちになった。
これを読んだことで全てが根本的に解決というわけではないが、間接的に色々なものに折り合いをつけて生きていけそうと思った。

本の中にも書いてあったが、自分の気持ちや言いたいことが上手く言葉に出来ない時に、それをぴったり言い表す言葉に出会えるとものすごく救われた気持ちになる。読んでいて何度もその救いが何度も訪れた。
レビューは「マザコン気持ち悪い」といった言葉が並べられているが、これを読んで前進する人が何人もいると思うので、紹介したくなった。

どうぶつの森をしていたら

最近人から3DSを借りて「とびだせ どうぶつの森」をしている。

どうぶつの森では、住人であるどうぶつが話しかけてきて急に家具をくれたり、「家に来いよ」と言ってきたり、現実の人間関係でもそうそうない大胆なコミュニケーションを図ってくる。

今日はネルソンというキザな鹿の住人が「家にきちゃいなよ」とか言うから遊びに行った。ネルソン、めちゃくちゃインテリアがオシャレでグランドピアノやら粋なソファーを置いていて、結構気に入っている。
その癖、私ががたまたま持っていたウオッシュレットトイレを譲れと言ってきたり、「このソファー売ってあげるよ」とか言うわけ。せっかく任天堂のデザイナーがきれいに作った部屋を……。

そういう思いがあり、人間である私はそれを丁重に無視して帰ろうとした。この部屋から何か一つでもパーツが欠けると勿体ないと。
すると「僕の部屋の感想はどう?」と最後に聞いてきた。
私はもちろん「サイコー」と答えた。本気で「サイコー」と思っているから。

それなのにネルソンは「君が僕の部屋をイマイチだと思っているのは知っているよ・・・なのに君はサイコーなんて言ってくれて優しいね」とか言うんですよ。

そのセリフを聞いて、ゲームの中の話なのに、めちゃくちゃ悲しくなってきてしまった。
相手の欲求を汲み取れないがために、気を使ったはずが相手には真逆に伝わっている。現実でもよくある話だ。それで「やってしまったな」という気持ちになったことが何度もある。それを、まさかどうぶつの森で繰り返すなんてと思うとちょっと泣けてきた。ちがう、そうじゃないんだ、私が思ったのは・・・と言っても相手には聞こえない。そして自分の中の支配的思考に気付いて自己嫌悪に陥るのだ。

そんなことを言い出させるようにしている、任天堂のいちいち細かい設定が憎たらしい。コミュニケーションでは相手の欲求を汲み取る、覚えたぞ。

日記 7/11

叔父が亡くなった。正確な年齢はわからないが、80くらいだろうか。
本当は遠い遠い実家に帰る必要があるが、往復や喪服の準備だけで今月の生活費が無くなってしまう、そして仕事が非常に立て込んでいて行けない。お世話になったにも関わらず申し訳ない。近いうちに手を合わせに行かなければ。

もう10年くらい会っておらず、最後に会ったときは先祖の墓参りのときだった。叔父はニコニコと私の顔を見てただただ微笑んでいた。でも私はそれを奇妙に感じた。何かしら私の名前を呼んで会話を始めれば良いのに、それをしなかった。いつもならそうするはずだったのに、微笑むことしかしなかった。彼が認知症と診断されたのはそれから1年くらい経ったころだったか。

こちらから沖縄に行くには非常にハードルが高く、見舞いに行きたい気持ちはあったのだが、行くことが出来ず、10年も経ってしまった。親戚の中でとびきり年少だった私をいつも可愛がってくれた。変人の多い一族のなかでも常識人だったおかげで、我々は非常に助けられた。なのに見送りに行けなくて申し訳がない。

母だけを沖縄に送るために、格安航空券を手配したのだが、私がいなければこんなことすら出来ない母親が怖い。当日の搭乗フローが書いてあるメールを転送しようにも、本人は自分のメールアドレスがわからない。実家をでる前にある程度教えたのに全く持って機能していない。どうすれば良いのだろうか。