社会は案外

高2のとき、始業式の前日に食中毒にかかって4日間高熱と腹痛で苦しんだ。多分センバツの決勝を見に行った後に食べた焼き鳥が悪かった。
インフルよりも断然辛かった。4キロ痩せた。
人生で2番目くらいに死の淵に近付き、なんとか生還して登校したら新しい担任に「あとで職員室に来い」と呼び出された。
「初日から数日も休んで何考えてるんだ」ということで怒られ、さらに始業式に持ってこなければいけない雑巾と茶道セットを持ってこなかったことで怒鳴られた。電話で連絡があったらしいが、寝込んでいたので知らないし、母親も私に言うのを忘れていたのだ。

「私はねえ、毎回どのクラスよりも先に雑巾を集めて出してるんだ!」

と言われた時は「しょうもねえ!」と思ったが「すみませんでした」と謝るしかなかった。
その後家に帰ったら母に「あんた、担任から電話が掛かってきたよ・・・お前ん家の娘雑巾忘れたって」と言われ、心底気持ち悪いと思った。当時クラスメイトから「大変だね」と心配されても「まあ忘れた私も 悪いし・・・」と言っていたけど、マジで湿っぽすぎるでしょ!40過ぎた男が!

あれから6年、社会との接点が増えて、守らなければいけない締め切りが増え、こっちも何かを待つ機会が出てきた。けど、あれ以上に面倒くさい目に遭ったことはない。
寮への引っ越しもあと2ヶ月を切ってる割に何の情報も無くて、家具の手配やら引っ越し準備が何も出来なくてソワソワしてるんだけど、これをあいつが体験したらどうなるんだろう。
案外社会はゆるいな。

そういえばヨッピーさんの講演会やったときの会計と清算も2ヶ月以上経ってるのに、委員側から何も連絡がない。あいつらはしばく。

不安依存症

昨日バイト中にハッとした。

就活前は「就職できるか、できてもちゃんと奨学金を返済できる会社に入れるか」っていうのがめちゃくちゃ不安で、それを振り払うかのように用意周到に就活をした。
それが解消されたら心身の健康に対する不安と、コントロールの喪失への不安がやってきた。病名がついた。

真面目に大学行ってたのも、「自分は生きていけるのか?」「この国破綻しそうじゃない?」という不安があって、それを解消・防止するためだった。もともと学びたかった工学の道をわざわざ閉ざして文転して、経済学部に入った。確かに経済学にも興味はあったけど、文転の決め手は「不安」だった。望む道に進める喜びよりも、そこで新しく生まれる脅威(金銭的なものや、周りとの競争etc)に勝てる自信が一切なかった。

とにかく、ずっと不安に突き動かされて生きてきた。
思えば、小さい頃から不安を感じやすいタチだった。
駐車場の出庫のサイレンを聞いてパニックを起こして道路に飛び出したこともあったし、保育園では常に「怒られるんじゃないか」と怯えていた。
これは私の生まれ持ってきたものもあるし、1歳頃の発育環境(まあどうしようも無かったんだけど)も原因だと推測される。

周りを見ると、私のように常に不安がってる人はほとんどいない。それに、強迫性障害という病名が付いてしまったわけで、私の不安は不合理なものであると言える。

強迫性障害っていうのは、強迫観念と強迫行為から成り立ってるわけですが、例えば
強迫観念:「手汚くないかな」 強迫行為:何時間も手を洗う
など。これは正確な説明ではないので、詳しい説明は医学的なサイトを見てください。

強迫行為を行うことで、一時的に安心を得ることが出来るんだけど、強迫行為をすればするほど症状は悪化していく。だから、強迫観念が浮かんでも強迫行為を行わないことが悪化させないポイントになる。
だから私は強迫行為は一種の麻薬のようなものだと理解している。
これは医学的に間違った理解だと思うけど、私の頭はそうやって強迫行為を行うことでしか安心を得られない、いわば「不安依存症」みたいな状態なんだと思った。

加藤諦三が何かの著書で「悩み依存症」という言葉を使っていたけど、その言葉の意味がすごくしっくり来た。それと同時に、「そうだったのか」という気持ちになってちょっと楽になった。
不安を振り払おう、振り払おうと必死に生きれば、もっと不安になる。そうではなく、不安を抱えつつも、自分がやりたいこと、なりたいもの、それを目指して建設的に生きて行くのが一番健康的で幸せなんだろうな。痩せてオシャレがしたい、知的になりたい、居心地の良い部屋に住みたい、ギター上手くなりたい、そういう願いがあったはず。あまりにも不安の奴隷として生きすぎて、どう願っていたのか忘れかけていたし、そんなに願ったことはなかった。けどこれからはもっとそういう風に生きよう。そういう風になれるまでどれくらい掛かるかわからないけど。

悩み依存症、どの本に書いてたか忘れた。これだったか。

うつ病は重症でも2週間で治る、もし……「つらい生き方」をやめる心理学 三笠書房 電子書籍

日記 2/3 フリースタイルダンジョンの感想文

YO!皆はチェックしたかな!

1stBATTLE

2ndBATTLE & 3rdBATTLE

4thBattle

めちゃくちゃ面白かった。
正直今日放送されたvsR-指定は、第3ラウンドまでいってくれるもんだと思ってたので残念。
因縁の対決だ!って煽る割にはあっさり終わってしまった。やっぱりDOTAMAとR-指定はUMB2014の2回戦が最高。
でももちろん内容はサイコーだった。めちゃくちゃ熱かった。どっちも手段を選ばずにボコボコにしてやるぜ!っていう汚い少年漫画のような展開に久々にソワソワしながらYoutubeを見た。

個人的にはACE戦の第2ラウンドが一番良かった。
ビートが最初の6小節しっとりで、そのあと2小節で急にテンション上がるんだけど、DOTAMAがすげーうまいのわかってウオ〜ってなる。ACEもちょーかっこいい。二人とも最高に?最低か、最低に下品だけど、それぞれ下品さのカラーが違って楽しい。
フリースタイルに出会って2ヶ月の素人リスナーだけど、やっぱり個性が見えるラップは聞いてて楽しい。モンスターや、この番組で勝ち残るチャレンジャーはそういうタイプだなーって思う。
不良っぽさ、アウトローさが苦手だからDOTAMAのギャグ気味のラップ、本当に良い。

RとDOTAMAはこのやり取りも最高、フリースタイルできるようになりて〜ってくらいな感じ

小保方晴子「あの日」を読んだ

小保方晴子『あの日』を読んだ。
この本は彼女の自伝でもあり、騒動への釈明でもあり、そして暴露本でもある。

あの日 小保方晴子

当時私はSTAP騒動に対して、世間で騒がれているほど興味は無く、「小保方や笹井がああ言った、こう言った」などの詳細は全く知らず、
博士論文が取り下げられたとか、検証できなかったとか、そういった事実の羅列のみを記憶していた。
そして、「小保方晴子という人は不勉強な科学者であり、STAP細胞は存在しない」というのが私の結論であった。
だから最初は「ラクロス部で疲れて研究室で寝てばかりいた」という描写を読んで「やはり」と思ったりした。

騒動に興味の無かった私がこの本を手に取った理由は、人間の弱さを見たかったからだ。彼女のどういった部分が騒動を生んだのかが知りたかった。
私は、誰もが小保方さんになり得ると思っていて、ちょっとした心の弱さや隙がこういった騒動を生むと思っている。自分がそうならないためにはどう生きるべきかを知りたくて読み始めた。

それに対する期待はある程度満たされた。
しかし、それ以上に「あれ、STAP細胞あるんじゃないの?」という気持ちにさせられる衝撃が大きかった。

序盤からSTAP細胞のヒントとなる現象に対する言及や、実験の描写が多く、STAPの研究が思い付きで行われていたわけでは無い、ということが分かった。
私は生命科学の知識は全く無いので、該当部分を理解するのは難しかったが、わかりやすく説明してくれているため、納得しながら読み進めることが出来た。
知識がある人からすれば「これは間違っているのでは?」「不自然だ」という部分もあるのかもしれないが、実験やSTAP現象に関する説明は論理的で、飛躍も無く筋が通っているように感じた。

私は知人から、
「STAP現象は、細胞が死滅する時に放つ自家蛍光という常識的な現象を、不勉強な小保方さんが勘違いして新しい細胞だと思ったらしい」
という話を聞いていたが、それも本の中で否定されていた。彼女は自家蛍光か、STAP現象特有の発光かを観察方法の工夫によって区別していた。
そういった釈明も、後付けという感じはあまりしなかった。私が知識なさすぎるだけで、あと3回くらい読めばツッコミどころが出てくるのかもしれない。

では、科学的にはちゃんと証明できそうな実験がこのような騒動を生んだのは何だったのか。
原因を彼女に限定するなら、資料の取り扱いに対して知識が無かったことやサイエンスのコメントを熟読しなかったこともあると思うが、
一番は「はっきり主張できない性格」だろうか。

若山氏との共同研究で、「自分の研究が自分の手から離れて行っている」という実感があるにも関わらず、「理研で働くきっかけを提供してくれた恩師の期待に応えたい」と、ほとんど若山氏の言いなりになってしまったことが、騒動を起こす要因になったのだろう。だが、職業研究者になって間もない彼女がそうやって主張することは難しかっただろうな、とも思える。

そして、複数の高名な共著者の中で彼女は板挟みになってしまい、責任の所在が不明なまま論文執筆は進み、彼女が関与できない部分も多い中で、研究が世に出ることになってしまった。彼女がもし気が強い性格だったら「これは私が最初に始めた研究です」と言って軌道修正できたのかもしれないが、そうはいかなかった。

論文が世に出てからの描写は、ほぼ当時の釈明と暴露である。
このように報道されていたが、実際はこうだった、こういった発言をしたがカットされた、私は発言を禁止されていた、理研のあのひとが匿名でリークしていた、などなど、それまでの報道に反撃するような内容になっている。
この一連の描写を「言い訳だ」とする人の方が多いと思うのだが、私は「あー嘘じゃなさそう」と思いながら読んだ。嘘にしては詳しすぎると思った。嘘をこれだけ書いたら、若山氏をはじめとした数人から名誉毀損で訴えられそうだ。そんな仕上がりである。彼女は、自身の実験に関して納得できるまで説明できることはしており、若山氏が当時管理していたマウスの系統で自身の技術を用いて再実験すれば、この騒動の真実はもう少し見えてくるのではないか、と思わせられた。
検証実験も、最後の過程は彼女から取り上げたものであり、科学的に検証されたとは言えないものだった。

以上のことから「STAP細胞ありそうだなー」と思ったわけですが、これまるまる嘘だったらめっちゃ恥ずかしい。騙されやす過ぎる。

仮に釈明がすべて後付けで、実際にはSTAP細胞が無かったとしても、この本は小説として十分楽しめる。読みやすい文章だし、無駄に豊かな表現力も見所だ。
日本人にありがちな上司に忠実なタイプの主人公、金と名誉に飢えた若山、スーパーマンのような笹井とその死、暴力的な記者など、彩り鮮やかな登場人物が世の中の理を教えてくれている気がする。
「金と名誉にこだわる人とは距離を取れ」「この業界で偉くなる人というのは堂々としていることではなくて細かな根回しを怠らない人たちなのだと感心しました」(pp.175-176)「論文は時間に余裕を持って提出しろ」などなど、炎上しないための処世術が学べる。

私は彼女の今の病状や奪われたものは、行ったことに対してあまりにも不釣り合いだと思うし、非常に心苦しく思った。友人や恩師を失い、まだ32歳で研究者としての人生を歩み始めたばかりだったのにそれすら奪われるなんて、そんなに「科学への冒涜」は重犯罪なのかと思わざるを得なかった。彼女に、もう一度チャンスは与えられないのだろうか。悲しいがきっと与えられない。
いずれ、STAP細胞の真実が明らかになるその日まで、死なないで信じて生きていてほしい。

これがボロクソに小保方さんのことを叩きそうな私の感想です。

あの日 小保方晴子

これからどうしよう

4月から社会人になるにあたって、Twitterをやめるかどうか悩んでいる。

私の正体なんて、ブログやツイート、その他諸々を観察すればすぐ分かってしまう。
このまま鍵をかけずに今までと同じように振る舞うと、会社に迷惑が掛かってしまうことも十分あり得る。
あと普通に人間関係が面倒くさい

けどたまには暴言を吐きたい。どうせツイートするなら承認欲求満たしたいから鍵はかけたくない。twitterで出会った人と縁を切ることになるのは悲しい。「S川」をこのまま終わらせるのはもったいない。

でも、この私の燃えやすさではいつか迷惑を掛ける。
なのでもう暴言吐いたり辛辣にバカじゃねえの?とか、死ねボケカスとかいうのはもうなるべく辞めようと思う。
それを少しでも身につけていくのが大人のたしなみなのかもしれない

……

全然星座占いとか信じないんだけどmixiニュースで『12星座「飲み会嫌い」ランク』っていうのがあって「ハイおれ〜(乙女座)」って思いながら開いたら本当に乙女座が1位だった。飲み会が嫌いというより「ウェ〜イ」っていうノリが嫌いなだけなんだけど。

全然読まれることを意識しない文章になってしまった ブログというか覚え書きだ