現代に於いては「得ることも可能」ではないか。
この諺が生まれた当時,車もパソコンも無かっただろうが,今は違う。
このブログと同量の文章を残すには,私がこうやってキーを叩く時間の数倍の時間と労力が必要だっただろう。そりゃあ,二兎を追う者は一兎をも得ず!とか言っちゃうわ。
感覚的に,半分以上の人は一兎,器用な人なら二兎くらいは得れるんじゃ無いかな,と思う。
足の速い兎はこの限りでは無い。
ただ,追うのが三兎,四兎くらいになったら現代においても怪しいかもなあと思う。
我々は生きている限り,選択しなければいけない状況とは縁を切れないし,何かを得るためには捨てなきゃいけないことは度々ある。BUMP OF CHICKENもそう言っていた。
しかし,強欲な者たちはしばしばそれを嫌がり,三兎も四兎も得ようとする。
自分自身が傷ついているだけならいいのだが,大抵の場合周りの人間を傷つけている。
責任や負担を押し付けたり,周りを抑圧していたりする。
それで感謝も忘れ,我が我がと美味い肉を食おうと必死になる。
そういう人たちはどうせ信用を失くして誰からも相手にされなくなるのでいちいち私がこうやって言及する必要は無いんですけど書いちゃうよね。ストレス発散になるから。おれはあいつらのせいで!!!!!!
話題を変えます。
日本酒ってきっと「弁当箱をついつい隠した人」から生まれたんじゃないか。
とバイトがあまりにも暇なのでそんなことを考えていた。
米を食べきれなくて残したんだけど,それを洗い物をする嫁・もしくは母親に出すのは忍びないと,弁当箱を隠してしまった。そんなのすぐに見つかるに決まっているのに。
そして数日経った頃,案の定見つかってしまった。
しかし,弁当箱に付いていた麹菌が米のデンプンをブドウ糖に変え,なんか米がいい感じになっている。
え?なんかこれもっと米追加して混ぜちゃえばいいんじゃね?となんやかんやした結果日本酒が生まれたのでは無いか。
実際のところはどうかと思ったが,考古学的には分かっていないらしい。他にも魏志倭人伝とか三国志とか日本書紀とか,高校時代歴史を勉強しなかった私が恐れ戦く文字が並んでいる。
日本酒の歴史(wikipedia)
うまい日本酒の選び方 (日本酒テイスティングBOOK)
現場からは以上です。
そういえばある先輩とLINEしていて,めんどくさくなったので終わらせようと思い
「現場からは以上です」
とレポーター風に返信したら
「現場?」
と,ばかな返事が返ってきた。無視した。









