2025/01/04

ヘヴィトリップをAmazon Primeで見た。

https://www.amazon.co.jp/ヘヴィ・トリップ%EF%BC%8F俺たち崖っぷち北欧メタル!-字幕版-ヨハンネス・ホロパイネン/dp/B08BY3GBB9

面白かった(私は映画をほとんど見ないので面白いか、よくわからなかったの2択しか言わない)。

「お約束」なストーリーの中で、はちゃめちゃにやってて良かった。舞台はフィンランドの田舎なのだが、田舎のいや〜な感じとヘヴィメタルへの風当たりの強さの描写がよかった。馬鹿馬鹿しくて、見やすかった。コメディしか見れない私のような人間にはおすすめ。国境警備隊の電話番の俳優の演技が良かった。振り回されるタイプのキャラクターが好き。

2が先月から映画館で上映中なので見た次第。後日映画館にいく予定。


今日はピアノを習いにいく日だった。新しい楽譜を貰った。聖者の行進。ベースラインを管楽器のニュアンス、チューバとか、そういうのを取り入れて欲しいと言われた。ピアノは他の楽器のニュアンスを取り入れないと単調になってしまうので意識的にやったほうがいいと先生が言っていた。ほえーー。

かれこれ習い始めて半年くらい。小学1年生くらいのときに弾いていたシンプルな曲を2,3曲教わって、ジャズピアノで使う技法とか音楽理論を教わってアレンジして弾くなどをする。めちゃくちゃ楽しい。そんでめちゃくちゃ難しい。ジャズスタンダードを人前で弾けるようになるのは相当先だけど全然良い。曲も色々たくさん聴いてる。「なんかこれはあんまりジャズの文脈的に良いものじゃない気がする!」「これはジャズだな!」とか、そういうことも少しわかってきた気がする。分かりやすい音楽では決して無いと思うし、難しい。でもそういうところが好きなのかもしれない。ジャズの有名人とされているけど、なんか好きじゃ無いなーと思ってた人があるYouTubeチャンネル内で批判されてて、感覚は身に付いてきたんじゃないか。

昨年の10〜11月くらいは満足にピアノ弾けなかったので今ちょうど頑張るぞのシーズンです。ピアノが弾けるようになると音楽がわかるし、音楽がわかるとピアノが楽しい。

2025/01/02

先週風邪をひいて、そのあと旅行して、そこそこ歩いたりして、そのせいか全然体調が回復しない。昨日は昼寝を5時間くらいしたし、夜も普通に9時間くらい寝た。今日もずっと眠い。なんだか新年幸先悪い。体力つけないとそういう年齢なんだよな、 と感じる。体力を付けたい。

今年はせめて何か続けるかーと思ってとりあえずブログを更新してみる。

あとは運動ですか。運動を続ける体力を失ってしまっているので今年は基礎体力を取り戻すところからやりたいですね

保護中: 2025/01/01

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ピアノと私、または音楽と私

最後にピアノを弾いたのは、小学3年だったか、4年だったか、曖昧だ。ピアノを習っていた。親あるある、何かしら習い事をさせたい。その候補にはダンスという選択肢もあったらしい。しかし、恐らく私があまりにも内気なのでピアノの方が向いていると判断されたのだと思われる。それから間も無く、ヤマハの集団オルガンレッスンに体験でぶち込まれた私は同い年12、3人に囲まれ恐怖し行きたくないと主張、個人レッスンを受講することと相成った。4歳ごろのことだ。

もちろん、内気さとピアノの向き不向きには一切の相関は無いため、レッスンにより私が才能を開花させる事は一切なかった。しかし別に嫌いではないという理由から無気力にだらだらと10歳近くまで続けることになった。

特別弾きたい曲があるわけでもなく、ただ子供向けの練習曲をぼーっと楽譜をなぞる、向上心ゼロのレッスンを受けていた。まあ1曲通して弾けるようになったらなんか嬉しいよね、くらいのものだったと思う。時々、同じ教室に通っている他の子どもが弾いている曲が気になって、いつか弾いてみたいと思ったりした。でも、そこに行くにはあと2冊、練習曲の本を終わらせなきゃいけない。大体、1年半くらいかー。などと考えて、面倒だなあ、こんなにまだつまらなさそうな曲がたくさんあるなあ、とうんざりした。

それにも関わらず私は自転車を15分漕いでピアノを週2回習いに行っていた。今の自分を考えると、すぐ辞めそうなものなのに、と不思議な気持ちになる。

私のピアノレッスンに関する最後の印象は「ピアノがつまらない」だったため、自分はピアノを弾くことは一生ないだろうと思っていたし、ピアノをイヤイヤ習いに行かされていたと思っていた。その原因は、人生2回目か3回目かのピアノ発表会の課題曲だった。ブルグミュラーの練習曲、「アラベスク」の連弾だった。これが本当につまらなかった。元々のアラベスクは右手と左手で違う旋律を奏でるわけだが、連弾のため、右手と左手が全く同じ旋律を同時に奏でる楽譜に再構成されていた。そもそも曲が好きじゃなかった。薄暗くて、派手な展開もなく、胸を打たない。練習曲なのでそうだ。そのくせ、右手と左手がズレると粗が目立つ。やはり練習曲だ。正しい運指で正しく弾かなければ、綺麗に弾けないのだ。筋トレに近かった。苦痛だった。発表会前の数ヶ月、これ以外の練習が許されなかったのも拍車をかけた。家で1人、伴奏もなく筋トレをする退屈さよ。私はこのせいでピアノを嫌いになってしまった。

その後、学校のマーチングバンドに入り練習時間が取れなくなり、ピアノとは距離ができてしまった。確か先生に「もうここには来ないかも」という感じで辞めることを宣言し、鮮やかにピアノとは縁を切った。あまりにも鮮やかで、自分で言ったくせに本当にそれ以降通わないことが自分でも信じられなかったような気がする。先生の口ぶりも信じていたなかったような気もする。数年も習ったくせに、躊躇いもなく、別れを惜しむ気持ちも一切なく、本当にすっぱりと辞めてしまった。教室はクーラーが効いてて、目の前の学校の花壇にはひまわりが咲いていて、夏の水色の空だった。さっき、地図を見たらその教室は無くなっていて、レンタサイクルになっていた。先生もそれなりの年齢だったはずだからもう亡くなってしまったかもしれない。あれっきりだ。私は子どもだったから、そんな風に何かを突き放しても永遠が続くと思っていた。

最後のレッスンは、今でもはっきり覚えている。皮肉なことに、私は最後に初めてピアノを弾くとは何かが分かりかけてしまったのだった。曲名は忘れた。

大して練習もせずに、教室に行き、暗譜もせず、moderateと書いてあるのに甘えそれ以上にゆっくりと楽譜を読みながら適当に弾き始めた。適当にペダルを踏んで、誤魔化しながら。合格は貰えないだろうと思っていたのに、ものすごく久々に一発合格をもらったのだった。「は?」と口には出さなかったがとても困惑した。なぜ、この演奏が良くて今までのは評価されなかったのだろうか。意味がわからない、と思った。そしてピアノって何なんだよ、という気持ちを強めた。この時にはピアノをやめることを決めていたので、そこまで深く考えることはなかった。その同じくらいの時期に、私が家で弾いていたキーボードと教室のピアノは全く違う楽器で、鍵盤をどのように叩くかで全然違う調子に聞こえることにようやく気が付いた。違う楽器だということは知っていたけど、指から何も感じることができていなかったのだ。家で弾くピアノは力も要らなくて簡単なのに、教室で弾くと手や腕が疲れる、ということに辞める頃になってやっと気が付いた。ピアニッシモやフォルテの意味は知っていたけど、音楽記号以上にいろいろな表現があるんだということも、しばらく経ってからようやく気が付いた。それは、ギターを始めてからだろうか。そして高校生になって、タワレコでたまたま流れていたクラシックを聞いて、同じ曲でも弾く人によって全然違う曲になるんだということを実感として初めて理解した。頭では分かっていたはずなのに。

ピアノを辞めてからは、ピアノが弾けるという事実を抹消し、自分自身でさえも忘れて生きていた。弾くチャンスはあったはずだし、練習さえすればポップスの伴奏くらいは弾けたはずだが、「アラベスクさえまともに弾けないし」というところでセルフイメージが終わっているので、あえてチャレンジすることもなかった。

だから私の中で、ピアノは「嫌々習わされていたことがあるが、もう弾けない」かつ「しかし、最後のレッスン曲のことが引っ掛かる」というステータスの存在になっていた。


ピアノを辞めたからといって、音楽と縁が切れることはなく、むしろ興味関心はもっと強くなり、楽器も色々やった。ギターはエレキとアコギ、ベースも去年会社の人に唆されて買った。自ら音楽を聞くようになってから、ベースはずっとやりたい楽器ではあったが、親にベースは潰しが効かないからギターをしろと言われエレキを買わされて仕方なくエレキギターをやり、大学では惰性でそのままアコギに入門した。

エレキギターはずっと本当にしっくりこなかった。弾くのも楽しくなかったし、すぐピーーーーーーーーって言うし、すぐ隣の弦が鳴るくせに鳴らしたい音はならなかったりする。ガサツな人間には無理だあの楽器は。激しい感情表現をするには指先の繊細さが必要なのだ、矛盾している。ピックを持つのもせせこましくて嫌いだ。一方、アコギはもうちょいしっくりきた。パーカッシブなアプローチが好きなのだとその時気が付いた。今思うと音も嫌いじゃない。ベースもパーカッション寄りの楽器なので、楽しい。音もずんずん言っててかっこいい。この調子でベースを当分続けることになるのだろうと思っていた。ただ、問題は弾きたい曲というものがなかったのだ。いや本当はある。チャレンジもした。ただ弾けるようになるという手応えがなかった。そんな曲ばかりだったり、楽譜がないので耳コピするしかない、みたいなものばかり。ちょうどいい難易度で、妥協して弾いてもいい曲・・・というのが見つからない。

その時に気が付いた。今、バンド音楽、そんなに好きじゃないしベースに興味ね〜〜〜。

実際近年メインで聞いていたのはHIPHOP、エレクトロニック、ジャズ、クラシック・・・・・。ベースがゴリゴリ鳴ってたり、弾きたいと思えるものがあまりなかった。ベースを始めるのが遅すぎた。

いよいよ、再び楽器弾くこともなくなるか。


そこで別の道を提示してくれたのは氷室零一だ。私が30にして初めて沼にハマった二次元キャラだ。彼をイメージした香水も買った。しかも2個もだ。

氷室零一は両親がピアニストで、彼もピアノを弾く。学校で、幼馴染の経営するバーで。彼は感情表現が苦手なキャラクターなのだが、ピアノを弾いている時だけは感情を露わにする。感情に関する語彙が少ないため、ピアノで自分の想いを表現したり昇華しようと試みる。

そしてその様を見て、30にして初めて気が付いた。言葉にできない感情もあるなと。言葉にできても、伝わらないことの方が多いから、私はそのやり場のない気持ちを音楽にそれを委ねていたのだなと。今までもずっとそうしていた。

うわ、つーかピアノ弾きてー。弾きたい曲いっぱいあるし表現したい思いもいっぱいあるー。
ピアノ買うか。でも買ったところで、続くのかな。
いや、この10年でピアノ弾けたらなと思ったこと幾度もあったし、この際続かなくてもいい。これ以上音楽を楽しもうと思ったら、ピアノで音楽理論を理解するとか、そういう経験が必要なのも感じている。
でもどうしよう。本当に買うのか?

1ヶ月以上悩んだ末、買った。

電子ピアノ。鍵盤の重さや響きにとてもこだわって、予算の範囲で納得できる限りの選択をした。

あまりにも楽しくて、土日で10時間弾いた。エリック・サティのジムノペディ第一番。思っていたよりも身体はピアノを弾くことを覚えていて、期待していたよりも楽譜も読めるし、旋律を奏でることもできた。

体の底の悲しい気持ちが救われるかのようだ。

零一が弾いていたバッハの2声のインベンションも少しなぞったりして、あの曲の求める基礎力のレベルの高さに新鮮に驚くなどした。

そして、あの時私を苦しめたブルグミュラーのアラベスクを今弾いたら、ああ、この曲が演奏者に求めていることはこれだったのか、ということが嘘みたいにはっきりとわかった。楽しかった。ブルグミュラーと初めて会話が成立した、と思った。

いろんな音楽や楽器を経てから戻ってくるピアノはとても面白くて、子供の頃にもっといろんなことに気付けたらよかったのにと思わないこともない。しかし大人にならないと気付けないことはたくさんある、というだけの話だろう。

いつまで続くかわからない。途中空白が生まれるかもしれない。でももう二度と離したくない。上手くならないかもしれない。停滞があっても、英語が聞けて喋れるようになったのと同じように、少しずつ前進するものなのだ。

2024/05/06

久々にちゃんと休んだ感のある連休だった。なぜだろう。10連休なんてことをするのが久々っていうのもあるかもしれない。けど、能動的に動きつつ休む日は1日ゴロゴロできたのが大きかったかもしれない。風呂場の大掃除したかったけどできてないなとかはあるが……。

あとは、しばらく仕事を無理せずにした結果、ニュートラルな精神状態で休みに突入できたというのもありそうだ。自分の好きなことをたくさんできた。今までは10連休したらもういいやーという気持ちもあったけど、全然まだ休みたいねと思う。読みたい本がたくさんあるし、勉強したいこともたくさんある。インテリアを見繕いたいけど、終わらなかったし。英語で日記書く・AIと喋るのもやりたかったができてない。日記は今から書いてみるか。でもなんかドヤっているようで恥ずかしい。大した英語力もまだないのに。いやこういうマインドセットが日本の英語教育を殺したのでは?時々こうやってアウトプットできるようにしてみようかなと最近は思っている。

書いてみたが案の定美しくない文章が出来上がったため、以下ChatGPTによる推敲である。


Today, I went to a café to read and study, though perhaps those were just excuses to enjoy some coffee. Before moving to my current apartment, I hadn’t had the chance to savor good coffee at a nice café for quite a while. My recent move made it easy to explore various neighborhoods, and now I can casually visit cities with plenty of non-chain cafés. While coffee hasn’t always been my favorite drink (and still isn’t fully), the café’s iced decaf is delicious, especially when paired with cheesecake.

I ordered a non-decaf iced Ethiopian blend because the decaf version is also an Ethiopian blend, so I assumed it would be nice. Unfortunately, my assumption was wrong. Moreover, the cheesecake was sold out. The café wasn’t thoroughly cleaned, and my allergies worsened as the floor shook with each step someone took. The early summer heat filled the air, aggravating my asthma. Despite all this, I managed to finish reading two books. One of them was The Heart of Evil, which was recommended by a former colleague. I wanted to read the e-book in Japanese, but only the English version was available. I’m progressing at about 1% a day, currently at 8%. This challenging work is teaching me what reading in English truly involves and how to express ideas logically in the language. Do I regret it? About 20% yes, 80% no.


LLMってすごいねえ。


齢30にしておそらく初めて2次元キャラクターの偶像崇拝にハマってしまったため、火加減が不安定である。ここ10年くらいは女性アイドル(というかハロプロ)をゆるく追ったり追わなかったりしていたのでオタクではなかったわけではないのだが、ちょっと今までにない急騰具合かもしれない。BEYOOOOONDSハマった時以来ですかね。そう考えたら結構最近だな。いまこのタイミングで何故だろうと思ったけど3次元のあれこれに疲れてしまったのかもしれない。今好きなコンテンツは20年前のものなので、いきなり事務所を辞めるとかメンタルが理由で脱退するとか、急に自分好みではない方向性に変わるとかそういうのがない、という安心感もある。安心して推せる。推しという言葉が好きではないが・・・。

久々にこの感覚になったんだけど、こういう存在があると世界が輝くんだよね。氷室零一というキャラクターがジャズピアニストとクラシックピアニストの子どもかー、今まで中途半端にしてたけどもうちょっとジャズもクラシックも勉強してみようかなとか。生い立ちが自分と似てる部分もあるけど彼の性格と自分の性格の差分はどこで発生しているんだろうか、とか。ジントニックが好きって主音のトニックと掛けてますか?とか。

もっと自分のことを惹きつけるこの人のことを知りたい、という気持ち。今更だけど恋とか好きって一体なんでしょうね。もしかして、みんなこの疑問を感じるから世の中にラブソングが溢れていますか?
会ったことも実在もしない人間(芸能人もそうだと思っている)、2次元のキャラクターについては人間と言って良いのか?情報の集合でしかないはずなのに、それに惹かれるというのはなんとなく理解し難い感情だなと思う。実際には自分はそれを経験しているはずなので、なにかしら理屈があるはずなのだけど。脳内物質の悪戯に振り回されている。苦しく楽しい。

以下新規オタクによる氷室零一の話


ジャズってクラシックのカウンター的な存在だったと思ってて、なので両親がそれぞれその音楽やってるっていう設定がまず面白いなと思っている。で、生まれた息子は一見コンサバ一辺倒な性格に見える。吹奏楽部でもクラシックを本心ではやりたそうだし、即興性のあるジャズなんか好まなさそう。なんだけど、実際シナリオ内ではジャズピアノを弾くシーンがあり。

よく振り返るとトラブルや予想外の出来事に遭遇したらその場その場で考えを変えて行動しているようながする。自分の理想のルールや計画通りに進まなかったら強く動揺・激昂する性質の人もいるが、決してそうではない、というのが見えてくる。 「急ぎなさい、遅れを取り戻さなければ」とは言うので、やっぱり計画通りに進めたい性質の人ではあるのは間違いなさそうだけど、第一印象や周囲の印象からすると意外だが、自分の計画・ルールから逸脱することをそこまで恐れているわけじゃないんだなと思う。

ていうかそうだとしたら主人公のことを自分の車に乗せないね。

このことから、彼の完璧主義的って生得的なものではなくて幼少期の経験などから得た後天的なものだったり、何か自分を守る・癒すためのものだったんだろうなあと思った。自分が完璧でとっても良い子だったらもっと両親が自分のそばにいてくれたかもしれないからね。ドラマCDでスリッパとクッションの柄を妥協するシーンがあったはずだけど、臨床の場で言われる「こだわり」を生来持っている人であればこういう行動ができないはずなので。とはいえ、クッションの件は彼の人間的成長が見れるとても良いエピソードだなあと思う。調和・ルールに対するこだわりは生得的なものの可能性があるな、と思ったけどこれは否定できそう。

多分ここまでの設定がつくられている訳ではないと思うけど、自分なりの解釈ができて楽しいね〜