旅行行った

層雲峡の柱状節理を見てきた。

延々と奇岩(と言っていいだろう)が道の両側に20数キロ、素晴らしくそして異常な光景だった。

ロープウェイに乗って黒岳5号目まで来たあたり。

見渡す限り森と山が延々と広がっていて、麓に温泉街は見えるけれども、遠くを探しても一切の人里が見当たらない。白馬で山に登った時とはまた違う光景だなと思った。白馬はとにかく山々が急峻で、近くて、高くて、視界を遮ってくる。目の前の山を越えたら何が広がっているのか想像させられる。

こっちはとにかく樹海が遠くまで広がっていて、「遠くまで来たな」と感じさせられる。ここまで逃げて来れたら誰も私を見つけることができないだろうと言う安心感すら覚える。陸地の広がりがあるというのは島に閉じ込められていた人間からすると可能性の気配がする。泳ぎで海を越えるよりも山を越える方が生存率高そうじゃ無いですか。

7号目までくるとガスってて、あとなんか笹?みたいなのがひたすらに茂ってて紅葉も落ちてて、山のリアルって感じの光景だった。笹、本州の山だとこんな感じじゃない気がする。でも登山らしい登山ってしたことがないのでよくわからない。

滝も人生で初めて見た。これは銀河の滝と言われてるやつです。

大雪山系周辺は興味をそそられるものがたくさんある。廃線だったり昔の遺産だったり。良さげな牧場とか。私は電車や特急での移動が好きなんだけど、北海道を旅しようと思うと車の必要性を感じる。普段車を運転する機会は100%無いし絶対したくないけど、こういうときに免許取ろうかなあと思う。そんな急に旅先で人って運転出来るわけないので大人しくバスを乗り継いで行くしかないんでしょうね。


札幌にも行った。

遠目で見て県庁だ、と思ったが近づくと絵だった。

本当に、100m向こうからぼんやり見ると気づかない。曇りだったのもあるし背景がいい感じに馴染んじゃったのもある。気づいた時には思わず笑ってしまった。

勢いでTwitterやめた

私はXという名前がそもそも気に入っていないのでTwitterと呼び続けようと思うが、Twitterをやめてみた。(投稿の通知だけ気が向けば投稿する)

スパムや不要な投稿を目にする機会は増えたし、イーロンマスクのパーソナリティや考え方は嫌いだし……Twitter経由で何かしら情報を知ることは確かに多かったけど無かったら無かったで本当に欲しいものを取りに行くことはできるかもと思った。最近は自分のニュースフィードとしての使い方がメインだったからその点においてだけ不安だが……あとはTwitterでしか繋がっていない人とのつながりくらいか、でも現時点でほとんど交流は無いんだよな、会いたいと思えば何かしら連絡をするとかすればいいし、してくるだろうし

Twitterないとやっぱり不便だなあと思ったら再開するかもしれないし、改善したと思えたら再開するかもしれない。

こうやってマイペースに文章を書く方がやっぱり落ち着く。クソだと思った時にクソだなという記録をちゃんと残す方が癒しになる。Twitterはゴミ箱にしてしまう。

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日記 2023/10/02

山に旅行に行く。「熊が出たらどうしようとか考えてしまう」と夫に伝えたところ「いつもそういうこと言ってるよねー」と返される。

「こういうことを考えずに済むにはどうしたらいいのだ、この魂を救ってくれー」と言うと「もう十分救ったやろ、まだ救いが必要なのか?欲張りだろ」と言われた。別にお前に救ってくれと言っているわけではないのだが、なんだか笑ってしまった

2023/9/9 日記

歳をとった。最近は仕事が忙しく、辛く、特段感慨などないが……。

色々書きたいことはあるが、とにかく仕事が辛い。今までも辛いことはあったけど、何となく心のどこかで一過性であることは分かっていたし、じきに自分の能力が追いつくという瞬間があったから耐えられた。

今は、やれどもやれども追いつくことなく要求される水準がうなぎ登りに上がっていく。1年弱くらいこんな感じだろうか。経験したことのないものを、外国語でコミュニケーションを取りながらやる。はっきり言って辛い。私がやってきたのって、システム開発じゃなかったんだと。たどたどしい英語で何度もMTGを崩壊させ、ゴールに辿り着けないまま1時間を終える、というのを何度繰り返しただろうか。

「あれ、ちょっと出来るようになってきたか?」というのも束の間で、小休止している間に堆くタスクは積まれていく。

確かにこれは期待していた状況だ。ここまで”成長”できる会社ってそう無いだろう。慣れきった環境で同じことを繰り返し続ける恐怖よりはよっぽど自分のためになっている。しかし私は心身ともに貧弱なのだ。かなり疲れている。もう無理だなあと思いながら心を殺してやり過ごしている。何か新しいことが始まる度に「自分には出来そうもない」と感じ続けている。実際うまく出来ているとは思えないが、そこまで事故もなくやれている。でも今すぐ誰かが自分の代わりになれるかというとそういうわけでもないので、クビにもなっていない。そういう絶妙な状況。

飛び抜けて優秀な人と働いてみたい、という願いは叶って、自分の限界は今ここらへんにあるんだなということも気づけた。そういう意味では転職の目的はかなり果たせたんだが、思ってた2倍は辛い。

  • 人の入れ替わりが多すぎ
  • 母語で仕事できないのきつい
  • その割には全然サポートがない、想像の1億倍ない
    • 上司よりも営業の人とかから顔色悪いけど大丈夫?みたいな心配のDMが来る、おもろい
  • 法人向けのサービスは個人向けと訳が違いすぎる
  • 数字のプレッシャーがやばい

自分はプロジェクトマネジメント的なことをしているわけだが、そもそも母数が居ないので、この孤独を分かち合える人が少ない、というか分かち合ってる場合でもない、リモートなのでそもそも喋ることもほとんどない。IT業界のマネージャーは人に興味がなさすぎるのでものすごく相談がしづらい。自分のボスはかなり性格が悪くて、そういう弱音を吐ける関係性でもない。まあ彼女もプレッシャーの中で働いているうちにそうなってしまったんだろうと思うが……。私は別にそういう関係性でぐいぐい行けるかというとそういうことも無いので、Twitterに無理だーと書くことしかできない。

まあそこそこ元気な時に働いていればそのドライな状況も耐えられるけど、疲労で気持ちがウェットになっている時に諭してくれたりコーチングしてくれる人が居ればいいのにと思う。

そんなわけでIT業界疲れましたねーという気持ちになっています。でも他の業界の方が理不尽なことが多いだろうということも想像がつくし、無難にこんな感じで生きていくんだろうな。

こうやって疲れていると、社会性とか理性とかのコントロールが効かなくなって、感情的で感覚過敏な自分が出てくる。いかに無理して社会に適応しているか。社会の役に立つより貧しくても自分のために生きたいと思い始めてきた

日記 2023/5/7

Twitterで無痛分娩に関するツイートを見た。オスの人間が、無痛を選択したメスの人間に対して痛みを感じるべきだと説いており怒った、といった趣旨のツイートだった。

その時は特に何も思わなかったが、いま寝る前になって「お腹を痛めて産んだ子」って変な表現だよなあと思った。どう考えたって、家族に対して腹立たしいとか、ネガティブな感情を持ったとして「でもあんだけ痛い思いをしたんだから」という思考が挟まる余地って無いのではないか。こいつマジでムカつくわ、殺そうかな、って思って「自分が痛い思いをして産んだわけだしやめるか……」とか考えないだろ。痛かっただけあってかわいい、というセリフも想像できない。コストや痛みがなければ人を愛せない人間はこの世にいるのか?逆に、痛みがあることで誰かを愛せるようになる人はいるのか?それを人は執着と呼ぶのではないか。

かくいう自分は、やっと最近になって隣人愛という概念がわかってきて、年下の人間は概ねクソガキとしか思えなかったが、最近はチームの若者が楽しそうにしているところすら愛おしいと感じる。あの笑顔を守ることがモチベーションにすらなっている。これは年下がガキじゃなくなっただけで中坊なんかがいるとぶん殴りたくなるのかもしれないし、ただの征服欲なのかもしれない。しかし、自分はすっかり変わってしまった。

コロナ禍の3年はただ引きこもって仕事をして思考をしてということに大半を費やして体感としては1年くらいしか経っていないような気がしていたけど、世界も自分も3年の間にまるっきり変わってしまっていて、最近はその事実に動揺している。というか、働き始めての7年間があまりにも長すぎた。この程度しか成長できていない、という気持ちと違う人間になってしまった、という気持ちとの両方がある。

同年代が中間管理職になるような年齢だし、職場は自分より年下の方が多いし、大人ってクソだなあと言うよりも言われる側になってきて、責任とはどういうことなのだろうと考えることも多い。そうやって追われているうちに流行りの音楽も文化も分からなくなっていて、中年に近づいていることを自覚せざるを得ない。体力や肌艶もそう。

でも、歳をとったことで脳は落ち着き、感受性に多様性が生まれ、人の気持ちが少しわかるようになってきて、楽しめることは昔より増えたかもしれない。全く裕福ではないが金銭的にも新卒の時よりは余裕がある。だから歳を取ることは案外悪くないなと思う。しかし、言い訳できないくらい大人になってしまった。私はこんなにもまだうじうじしているのに……