2年目に

気がつけば上京して1年が経っていた。「あっという間」という言葉のままだった。もう4月だ、と言っていたらあっと言う間にまた4月が来た。あ、とも言えなかったような気がする。もう明日には後輩が入ってくる。まだ何の仕事も出来ないのに。こうやってすぐ死ぬのだろう。寿命が来るのが先なのか、教科書に教育勅語が載って、そういった思想の人間たちが戦いを始めて死ぬのが先なのか、よく分からないが、ちゃんと生きなきゃいけないなと思う。

1年経てば何かが変わると思っていたが、何も変わらない。OCDは治らないし、家事はどんどん手抜きになるし、相変わらず自分の事しか考えられない。ジムには行き始めたけど体重は増えた。変化はものすごくエネルギーが必要なのだと感じた(体型的にも)。何事も変わらないことを批判する前に、その事実を知った上で作戦を練って変わる必要がある。
会社に入ったら精神の病で壊れるんじゃ無いかと思っていたが、なんとか生きている。案外しなやかな精神を持っていた。良かった。この私が一人暮らしをして、生活できる状態を保ちながら、嫌なこともあったけど1年生きれた、というのは自信になりうるかもしれない。

大きな改善はなかったが、悪化することも無かった1年だった。今年度はもっと良くしたい。自分も周りも。会社の組織が変わって、先輩がたくさん会社を辞めて、2年目とは言え期待や責任は思った以上に増すんだろうなと思う。大変になりそうだけど、逆に言えば、もう新人扱いされる事もなく一人の人間として扱ってもらえるようになるのかもしれない。もちろん経験の差はある程度考慮されないと辛いが、なんとなく「新人だよねー」みたい空気を感じて無意識的に新人っぽく振舞わねば、と思っていた部分があって正直うんざりしていたので、そういう意味ではホッとしている。覚悟して頑張りたい。

技術がつまらないのは、わからないからだった

WEB系のエンジニアになって早3ヶ月、最初本当に苦痛で仕方なかった業務も慣れてきて、「面白い」と思えることも増えてきた。この3ヶ月の所感でも書いてみようかなあと思う。

「努力すればある程度できるようになる」というのは初めから分かっていたことだったが、それとは別に自分は技術を好きになる才能が無いと思っていた。周りのエンジニアがなんでそんなに楽しく技術の話で盛り上がれるのかが理解できなかったし、そんなに「楽しい!」と思えなかったからだ。

よくよく考えれば、今の会社に入るまで、せいぜいHTMLとCSSくらいしか触ったことがなくて(しかも10年くらい前)、全くゼロの状態であーだこーだ言われたらそりゃあ苦痛でしかないよなあと。そのとき頑張って及第点が取れても、またすぐに取っ掛かりの無い問題が降ってくるのもうんざりだった。

ただ、3ヶ月無理やりにでも詰め込んでいると、法則性が見出せなかったところにも法則性がなんとなーく見えてきて、「向こう」の言いたいことが徐々にわかってくるようになった。確率は低いけど、仮説が部分的に当たるようになってきた。そうすると楽しい。「もっと知りたい!」と思えるようになる。

比較的オタク気質で、雑学大好きな人生を送ってきたので、知的好奇心が無い人の気持ちがわからなかったのだが、ここに至る過程でようやく理解ができた。
「知識が根を張っていない場所」では知的好奇心は湧かないのである。
知的好奇心が無い人に興味を持たせるには、知識の種を蒔くだけではなく、ちゃんと水や肥料をやることが大事なのだと思う。あと、土壌は限られているしそんなに肥えていないので、急に種を蒔きすぎるとなかなか根付かない。

文系出身の人間は、それまでの人生で技術に一切触れていないことが多いので、土壌がまっさらだったりする。そこに難しい言葉でまくし立てるのは、無意味なんじゃないかなあと思う。自分が後輩持ったときはそこんとこ覚えておきたいし、自分がそういったものにマイナスな感情を抱いていたことは忘れないようにしたい。

あと、良くなかったなあ、と思うのは、いままでの自分の人生でそんな経験がなかった事じゃないかなあと思う。
学校での課題って、まず課題を解く前に、軽く知識や前提みたいなのを教わって、それを用いて課題を解くじゃないですか。でも仕事の場合は、そういう場がある方が少ないので、自力で調べたり、人に聞いたりして、よくわからんエラーメッセージと格闘しながら完成させていくしかない。

学校の問題は、自分で仮説を立てることも容易いし、解説を読めば大体理解できたんだけど、プログラミングの場合は仮説も外れるし納得のいかないことばっかりで本当に疲れてしまう。甘ったれたせっかちな人生を送っていた自分にとって、こういう経験は初めてだった。そんな毎日でなかなか楽しいと思えず「エンジニア、マジで向いてないな〜」と感じさせられていた。

でもそれから数ヶ月経って、今は「もしかしたら向いてないのかもしれないけど、楽しくなってきたし今後も続ける意志はある」という形に変わった。
「辛抱強く耐えれば、向いてないなー、無理だなーと思う事も解決する可能性がある」という事を学べたのは非常に大きいなあと思う。

なので検索でこのブログに来る、新米エンジニアの人がいたら「今は仏門に入っているんだ・・・」という気持ちで頑張って耐えて欲しいです。プログラミングみたいのが得意とは言えない私でも3ヶ月やってたら光が差してきたので、案外なんとかなるんじゃないでしょうか!

プログラミングを好きにさせてくれた恩師の本でも貼る
スッキリわかるJava入門 第2版 (スッキリシリーズ)

「ありのままじゃ許されない」という強迫観念

最近、ふとした瞬間に小さい頃のトラウマを思い出す。

トラウマといっても、自分の中では整理がついていて、とくにパニックを起こすわけでもないし、「あーそういえばそんなことあったなあ……」と思う程度のマイナスな思い出である。

どういうものかというと、

  • お絵描きの時間に、みんなは集まって絵を描いているのに自分はその輪に入ることができない
  • 鬼ごっこしよーってなっても必ず最初は自分が鬼
  • 学童保育で、ポテチの最後の1個を取ったことに対して周りの子供から責められて、全員から絶交だといわれる

割と大人になるまで気づいてなかったんですけど、すげえ暗い幼少期なきがする。

なんというか、いわゆる「THE 一人っ子」という子供だったのである。周りに合わせることもできないし、気を使うとか譲るとか、そういう発想がなかったんだと思う。さらに興味の方向もちょっと変だったり、自己主張がはっきりしているせいでそういった軋轢をちょいちょい生んでいた。もしかしたら子供ってそういうもんだったりするのかもしれないが。

で、そういった「気を使う」「周りに合わせる」「自己主張を控える」みたいな日本社会に適応するためのスキルって、成長に伴って獲得したり、慣れていくもんだと思っていた。

しかし、最近「気を使う」という行為が死ぬほど苦痛だということに気づいてしまった。

23年生きていく中で、「気を使えない」ということで、いじめられたりするなど不利益を被ることが多いと気づいた私は、必死に周りの機嫌を伺って、気を使うようになった。だが、私は本質的には「自己中心的で自分の世界に没頭しがち」な人間であることをさっき思い出した。そんな人間が気を使う、というのはどうやら物凄く疲れるらしい。普段は抑圧したり、苦痛に慣れていたとしても、やはり時々その痛みが顔を出す。そうなると自己中心的な自分が露呈される。

自分が物凄く自己中心的な性格をしているというのは自覚していて、親とかいろんな人からその性格治しなよという指摘を様々な形で頂戴しており、23年間努力しているのだがあいにく治らない。もうこれは「そういうもの」なんじゃないか。人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐いているのと同じなのでは。

もしそうなのだとしたら、もう努力するだけ無駄なので気を使うのをやめたいんですよね。
そのエネルギーを別のところに使いたい。
「ここで私が自分の意見をガーっていうと、他の人が主張するチャンス無くなるよなー」とか、そういうの考えるのやめたい。結局自分が損する場面ばっかりだし。

あー、やーめた。

と、最近何度も思うのだが、結局やらない。いつものように薄ら笑いを浮かべて毎日を過ごしている。なんで出来ないかなー、と思うと気を使うのをやめると、昔みたいに仲間はずれにされたり、嫌な思いをするんじゃないか、という恐怖が心の奥底にあるんだなーと、冒頭のトラウマに気づかされた。

このような、「自分は猫を被らないと、社会に溶け込めない」「ありのままでは許されない」みたいな気持ちは至る所で感じているな、と最近気がついて、それがぼんやりとした息苦しさにつながっているように感じた。できることなら気付きたくなかった。

長時間労働規制に反対するなら従業員の裁量を増やせって話〜〜

以下のニュース。

長時間労働も必要なのか avex松浦社長「労基法批判」で大論争

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-286869/

好きで働いている人の労働時間を規制するな!というのは全くの同意で、そういう自由が認められるシステムにすべき。
一方、好きでもない仕事をしている人や、様々な理由からそこまで仕事したくない人っていうのは当然居るので、労働時間の上限を設定する自由も認めなければならない。両方の自由を叶えるのは、会社という仕組みの中では難しい。どういう仕組みにすればいいんだろうね。自由がお互い制約になっている。

「仕事が楽しい!」っていう人は、そこそこストレッチな環境の中で自分の裁量が認められているから楽しい!っていう感覚なんだと思う。
一方、仕事や会社によっては、マジ労働環境最悪とか、トップダウンで自分の裁量なんかありませ〜んっていうことはしばしばあるし、そういう人は働いてても全然楽しくないんすよ。多分、現状今の日本は後者が多数派で、長時間労働なんかクソくらえなんだよ。自分の意見を言うと怒鳴られたり、無視されたり、そもそも伝えるチャンスがなかったり。

だから、今の日本で長時間労働奨励したり、ホワイトカラーエグゼンプションとかしたら破綻すると思う。病人が増えたり家庭崩壊が進むのではないかという気がする。
自分の意見を発信することは素晴らしい!ワンマン経営氏ね!という風潮を広めながら、規制緩和しないとやべえよ。

にしても「好きで働いてるやつもいるんだから規制すんな!」って経営者が言っちゃだめだよな。avexがどんな会社か分かんないけど、「弊社の全従業員は、自分がやりたいことを仕事に出来てます!」なんてことはあり得ないじゃん。「営業したかったのに好きでもない経理やってます・・・」みたいな人って、会社の仕組み上絶対発生するし、そんな人は長時間働きたいと思わないでしょ。帰りたいのに忙しくてなかなか帰れない・・・って人がそんな言葉聞いたら怒んないのかね。