長らく仕事に振り回されており、とてもじゃないが文書を書く気になれなかった。文章を書くどころか、何にも興味が持てず、人と関わることを避け、最低限の生活以外には他に何もしていなかった。ポケモンも、どうぶつの森もできなかった。高頻度で業務内容が変わり、週に何度もゴールポストを動かされたので自信を失った上に精神が参ってしまい、真夏は自宅で1人さめざめと泣きながら働いていた。楽しみや欲求を失い空いた脳の隙間には何かしらの強迫観念が充満していて苦しかった。
漸くこの1ヶ月くらいで、業務内容(望んでいた内容ではないが)が固定され、「新しいことを始める」というフェーズを何度も繰り返す必要はなくなり、波に乗れるようになってきた。そうすると、この数ヶ月のことを振り返ったり、自分の精神を立て直そうという余裕が出てきた。
上司の仕事の振り方は狂っていたが、私に力が無いからこのような事態を招いているのだと、この数ヶ月は信じていた。でも振り返ると、私もあいつらも頑張っていた。頑張っても波乱だったならば仕方がなかったなと思える。
自分が理想とするような、アウトプットは出来ていなかったが頼まれたことは真面目にやってアウトプットを出したのだから、もっと自分のことを肯定しようという、ありきたりなことを素直に思えるようになった。この程度出来て当然だろう、ということがやってみると実はめちゃくちゃ大変だなの連続だった。それまでエンジニアをやっていたし、何かの管理をしたりルールを作ったり企画をすることの重さを知らない故の辛さもあったと思う。めちゃくちゃな要件定義や企画を渡してくる人たちのやる気や能力に対して疑問を持っていたが、あれ大変だったんだなと知った。
このように自分の気持ちや認識が整理されたことで仕事中の脳味噌もクリアになりつつあり、仕事中の不安感も軽減されるようになった。まあもっと早めに誰かに話を聞いてもらうなりブログを書いてそこに辿りつくべきだったのだが。
1ヶ月くらい前、ちょっと仕事の風向きも変わって心の余裕が出てきたタイミングで、部屋に閉じこもることにうんざりとした気持ちがあることに気づいた。感染状況も多少落ち着いた頃合いだし、1回くらい美味い飯でも食いたいなと思い高いランチを予約してみたりした。お世話になっている先輩の誕生日が近いので、プレゼントを買って、ご飯でもいかがですか?と連絡を試みた。SNSで分かってはいたが、先輩はコロナだろうが何だろうがあまり気にしていないらしく、いいよ行こう行こうと快諾してくれた。
で、本当はそれが今日だったのだけど、数日くらい前から明らかに第3波が来ている。陽性率が5%の水準を超えているし、若者だけじゃなくて老人も増えてるし経路不明感染者も増えている、結構よくない状況だなと、引きこもってコロナのインターネットばかり見ていた私は理解し恐れ慄いた。
さて、そんな状況で飯を食いにいくかどうかを考えた。多分、感染する確率よりも感染しない確率の方が高いはずだ。しかし私はリスクを重く見積もる。昔はそうでもなかったが、違法建築のようなシステムの改修を繰り返す中でより慎重な性格になったのだ。感染する確率は上昇傾向だし、その上レストランだ。
たまの出社時の休憩時間に飯を食いながら話しかけられたく無いからと、ビル風吹き荒ぶ公園で食事をする私が楽しく食事ができるだろうか?周りの客が感染予防の観点を無視した行動をとっても私は味を感じることができるのだろうか?もし感染して、自分が発症したら?私は風邪を引いたら重くなるタイプなのに?無症状だとして家族に移したら?来週の出社日に同僚に移してしまったら?
などと考え、これは飯食いに行っても大して楽しく無いし、美味くないし、しばらく心配して過ごすことになるんだろうなと思った。ちょっと前ならまあ大丈夫だろうと思えたが、今はそう思えないし、そう思った時点で止めようと思った。
ただ、誘ったくせに断るのってすごい申し訳ないなと。向こうは私と違って信号無視するタイプの人なので「そんなの平気だよ!大丈夫大丈夫!」とか言われたらどうしようかなーとか、確かに気にしすぎでは?とも思ってしまい、キャンセルしたいですっていうメッセージを送るのに2時間くらいかかってしまった。でも送った。先輩には申し訳ないが、ここ数年の弱った自分にしては主体性のある、自分の意志を押し通した行動を取れたのですっきりした。
しかも心配していたようにはならず、全然いいよ!またいこう!と言ってもらった上、会社の冷蔵庫にデザート入れておくから食べてね、とまで言ってくれた。なんて優しい人なんだ。
美味いものを食べる機会を失ったので、高い刺身やチーズを代わりに買って自宅で楽しむことにした。プロのように料理はできないが、まあこれでいいなと納得できた。引きこもり耐性がある程度あって助かった。しばらく冬眠する。
権利なので好きにすればと思うが、GOTOナントカの類を普通に使える人、気が合わねえなあ、と思う。ふるさと納税もそう。気が合わないだけなので存在しないで欲しいとか行動を変えて欲しいとかではない、気が合わない。気が合う人がもっと世の中にいて欲しいし出会いたいだけなのだが。
