2026/10/04

久々に夫のいない週末。土曜、朝、夫を送り出して、二度寝して、家事を片付けて甲状腺の病院へ。毎回採血をしてくれる看護師が違う。スポットで集めているのだろうか。8月に採血した結果を教えてもらい、まだまだ異常値だが、1月の1/6になっていることを教えてもらった。よかった。それでもあと2年は薬を飲まないといけない。なげーーー。2年。2年前っていつだろう、と思ったらちょうど耳が聞こえなくなった時だった。まだ2年なのか、4年くらい経ってるかと思った。そう思うと、すごかったな。この2年は。いったい、2年後の私はなんの仕事をしているだろうか。いまの仕事を楽しく続けられていれば幸せだな。AIで世界が滅びていたりして。

血が抜けてややふわふわしながらカフェに行き、2月に買って積んでいた本を読む。100/400ページ消化。よくやった。最近は読みづらくて心が折れそうになっても「でも、これを乗り越えたらすごく嬉しいんじゃないだろうか」と想像できるようになって、挫折しにくくなってきた。このテクニックって多分昔からある気がするけど、10代の自分には全く効かなかった。しゃらくせー、とも思っていたけど、嬉しいとか達成感とか本当によく分からなかった。嬉しいとか楽しいとか自分の感情に明確に名前をつけられたのは確か22歳の時にTKのアコースティックライブ見た日じゃなかったかな。嬉しいとか幸せとか思わなかったわけがないんだけど、精神的に潔癖症すぎて、ネガティブな感情以外を素直に受容できなかった。自分は苦しむべきだと思っていたので。堕落したくないから。まあそれは今も少し思っている。あの時に嬉しい、と思った瞬間に精神の逆流を感じたし1ヶ月寝込んだな。今は全然嬉しいし、楽しいし、それでもダメになるわけではないってわかる。

カフェがガヤガヤしてきたので脱出し、近所のイタリアン(美味すぎる)でパスタを食べて帰宅。4時間ほど記憶を失う。放置していたアプリのことを思い出して、App Storeに審査を出す。12時間後、実機テストして画面録画添付しろ、という内容のリジェクト通知が来る。むかしはそんなこと言わなかったじゃない。

6.5時間ほど寝て、起きる。

ピアノに行く。昨日うまくいかなかったところが、少し弾けるようになっていた。しかしリズムの捉え方の矯正が要るねとひたすらにリズム練習。日本人らしい悪癖が染み付いているようだった。クソが。しばらくJPOP禁止することにした。私の趣味は1人でカラオケに行くことなのだがこの1ヶ月はそれも禁止する。うっかり行きそうだな。先生が、音楽はデフォルメされた自然言語だと言っていた。なにそれ。すごくないですか。良い音楽にも、悪い音楽にも感じると。ジャズにも関わらず演歌的になってしまっているインプロビゼーションも日本語由来を感じる、とか。あらゆる楽器は歌には勝てないとも言っていた。

あまりにも特訓したので、脳がパンクしそうになりながら美術館へ。ソットサスと瀧口修造。すでに今日の情報量を超えていて、瀧口修造までは全然集中力が持たなかった。詩がすごい良かった気がするが目が悪くて途中で読むのを諦めた。あとでパンフレット読んだりして浸る。

ソットサスはとても良かったという気持ちと、デザインってなんだろうなと言う気持ちと。最初の職場でデザインとは何かということに私なりに向き合って、やっぱりデザインは合理的で、ユーザーの最大多数の最大幸福を実現するための手段であるべきじゃないかと思っている。Webの世界なら、デジ庁であったりエストニア政府のデザインガイドラインが至高というか。多分、狭量なのかもしれない。それ以外のものはデザインの外の話で、例えば趣味的であったり無駄なこととか、装飾的なものは、アートの仕事だなと思う。否定しているわけでなく、それをデザインと呼ぶことに違和感がある。まあ、今回の展示で使われているデザインという言葉は、産業で意識されて使われている言葉とは違って、もっと一般的な、日本社会で使われている広義の意味のデザインなんだろうけど。うーん。でも展示側がデザインという言葉にあまり自覚的じゃないなと思った。ソットサスもこの作品に対してデザインって言葉を使ったのかなあ、とか。

例えばこのタイプライターとかはすごく「デザイン」されていると思った。無駄がないので、消費者がより安い価格で、魅力的なものを手に入れることができる。

でもこのチェストは空間を掌握するだろうけど絶対使いにくいしデザインされているとは感じない。非合理的だから。とてもじゃないけど、タイプライターの延長線上にある仕事とは思えないというか、別の発想で作っているとしか思えなくて。明らかに、ふざけているか、ムカついていないと作れなくない?

その当時のブルジョワジーだとか「上品さ」に対するカウンターカルチャーなんだということは理解するけど、今の時代を生きている私からすると、こっちの方がブルジョワジーを感じる。デカくて、不要で、素材も潤沢に使っていて。無印良品の逆。北欧の、暮らしへの切実さから生まれたデザインとあまりに対極で、これはイタリアでしかできないだろうなとも思う。イタリアって寒さとか飢えとかで死ななさそうじゃん。何ヶ月も雪の中に閉じ込められるとか無いだろうし。そういう贅沢さを感じた。本当であればもう1回行って振り返るんだけど今日までなのが悔やまれる。

あと、これがすごい良かった。


一人だと寂しいなと思って色々詰め込んで、一人の時間って最高、って思ったけど、もうお腹いっぱい。2日間たくさん歩いて疲れていて、疲労した体に孤独が染みる。