ふと、夫に聞いた。私って繊細か?と。
昔は、まあ、私は繊細かもしれない、と思っていた気がする。しかし、今はそのように思えなかった。自分が明るいのか暗いのか分からないのと同様に、繊細かも分からない。
夫曰く、「お前は繊細じゃないなー」、だよねー。
子供の頃から、コミュニティに馴染むことのできない人間だった。居心地が悪いなーと思っていたし、実際いじめられるとか、仲間外れにされるとかぜんぜんあった。しかし、それでめちゃくちゃ傷付いたとかトラウマになった試しがないのだ。えー、無理やり仲良くしたり遊びに付き合わなくていいんだー、ラッキー、とさえ思っていた気がする。一生ヒヤシンスの観察したり落ち葉を拾って眺めて良いんだーと。まあさすがに、強く言われたり、精神的に暴力を振るわれるとか、自分の存在価値丸ごと全てを否定されるようなことを言われると、傷付いたりもするんだけど、普通人はこういうときに傷付くらしい、というところでも平気だったりする。仕事で怒られても、めんどくさいなー、やり直しかーとか、こいつわかってねーな、私の方が頭良いのになー、みたいな気持ちの方が大きいかもしれない。逆に私がもっと頭良かったらなー、とか思うけど、傷付く、とは違う。
自分が傷付くことよりも、傷付けることをとにかく恐れている。
むしろ、トラウマになっているのは、言わなくて良いことを言って悲しい顔をされたり、疲れて油断してふと思ったことをそのまま言って怒られたり、そんなことばかり。加害することを強迫的に恐れている。自分の痛みを感じることはできないが、センサーだけは鋭敏で、人の痛み悲しみはすぐに流れ込んでくる。わかってください、私はあなたのことを傷付けたくないんです、信じてください。
私が猫をかぶっているのも、大人しくしているのも、どちらかというと他の人間のためだと思う。余計なことをしたり言ったりして傷付けたくない。温厚な人間なんですよと。私があなたより優れていたりして、あなたの評価が相対的に悪くなったりもしませんから。ただの平和を愛する心優しい人間なんです。
そう思っているのに、「傷付きました!」って言われると本当に耐えられなくて、もはや「そんなつもり無いんだから勝手に傷付いてるお前が悪いだろ!」と思ってしまう。意図を汲み取れよ!と。いまので逆に私が傷付いたんだけどと。でもそんなこと言えた試しがない。だって向こうは傷付ける意図ないのに勝手に傷付いてるの私だし!
あれも嫌ですね、「他の人もきっと傷付くに違いありません!」みたいに勝手に他人も自分と同程度に繊細である前提でこっちを非難してくるとか。私が暴言吐いてたらそう言われても仕方ないかって思うけど(いや、たまに諌められて悪口くらい自由に言わせろや、と思う時もある)、個人的にはただ事実を述べただけなのに、というときに怒られることがあまりにも多い。私ってズレてるんだろうな。
かといって繊細な人が嫌いとか苦手なわけじゃなく、彼らのことはむしろ美しくて好ましいなと思う。繊細なくせに攻撃的なやつが嫌いだなー。一番嫌いかもしれない。
この、私は繊細じゃない、という確信があまりにもブレイクスルーだった。感受性が豊かすぎてすぐ泣いてしまうのだが、それはそれとして私の心は繊細じゃないし、だから繊細な人の気持ちが全然わからない。私が共感性がないと自分に感じていたことはそれで、かといって人の気持ちが分からないわけではなく、同情して涙を流したりもするから、私って共感性がないのか?とも思っていた。その答えが今日出た。
あらゆることがこれで説明できる。私の生きづらさ、社会との摩擦、人間が苦手な理由、無理してでも猫をかぶろうと思う理由。今日はそれらに対する説明が一挙に付いて爽快だった。
