日記 2023/02/24

自分は感情が激しい方の人間だと思っているが、人と話してて仕事ではむしろ感情を出さないようにしていることと、映画などをみて感情をかき乱されることを非常に避けているなと気付いた。ある種、これも強迫的な、回避的な行動なのかもしれない。私は感情的になることや支配されることをかなり恐れている。

夫に「私は仕事中感情を抑えているように見えるか?」と聞いたらそうだといい、このような様子であると教えてくれた。

作業中:😔カタカタカタカタカタカタ………ハァアア………ムリ……

MTG中:アッハッハッハッ!!!!!

作業中:😔カタカタカタカタカタカタ………アアアア

まあすごく身に覚えがあるなと感じた。 自分の感情を諭されないようにすごく配慮をしているという意識は感じるし、それがふとしたときに急に壊れて怒ったり泣いたりしているような気がする。絶対体に悪い。他の人間はそれを解放するために物語とかを摂取しているのか?

いまさら2022年と自罰的な感情について

2022年はとてもじゃないけどブログを書くぞという気持ちにはなれないくらい忙しかった。

去年は自分にとって変化の年になった。1年前は、会社をすごく辞めたい気持ちと、いやここは踏ん張って何かしらを改善するんだという気持ちが日々交互にきていた。1年後にはこの会社に居たくない、とは感じていたけどまだ転職サイトに登録するとかそういうことはしていなかった記憶がある。あーもう働くのは無理だなとなってからは早くて、十分に休暇をしてからさっさと転職先を決めた。今思えば、その時期は相当に求人があってラッキーだった。私は自ら不幸を選んでいるようなところもあるけど、その分幸運に対しても鼻が利く。転職先も大正解だったし、折れるべきタイミングで心が折れたのも、無意識によるものだったのかもしれないと今は思う。

転職して、まあ3ヶ月くらいしたら慣れるだろうと思っていたが実際は半年くらいかかった。やっと今は無駄に心のリソースを使わなくても会社に行けるようになった。それまでは毎日脳がオーバーヒートしていて、何もわからない、何もわからない、と思いながら毎日過ごしていた。

仕事内容は前とは全く違うとも言えるし本質は同じとも言えるようなことをしているが、今の方が面白さも苦しみも両方強い。苦しみの質が違うので今の方が断然いい。ただし苦しい。それは自分の実力不足にもよるものだが、1年前はずっと同じようなことをしている感覚もあったし、狭い世界にいるような感覚も受けていてそれがひどく恐ろしいという感覚もあった。今は世界の広さも感じるし、自分の能力は下から数えた方が早いなあという意味で安心感がある。加えて、毎月、先月よりはうまくできているという感覚が得られている。


それでも、私はこの仕事に相応しい人間なのかなあと思うことは時々あって、もし次転職する機会があれば、必ずしもこのポジションにこだわる、ということはないだろうなあと思ったりする。転職活動中にそこそこ引き合いがあったのが今の職務内容であり、そのうちに自分としてもこだわってしまって、絶対この仕事しかやりたくない、と思っていた。

それで、いまこの仕事をしているわけだけど、結局自分は仕事内容とかよりも、周りの人を活かすとか喜ばせるとかそういうことに関心があるんだなあということがわかってきた。経営に共感ができて、ある程度職場環境が整っていて、同僚がコミュニケーション可能な人であれば、自分はこの業界のだいたいの現場仕事は、それなりの水準でこなせてしまうだろうと思った。もちろん高い技能を必要とするものは無理だが・・・。結局IT業界は知的好奇心の有無が全てを決める気がする。

まあ、なので、もし自分が役に立てるのなら、パソコンを使う仕事ならなんでもするし、できればチームで働けるところで、なおかつ会社が合っているところであればなんでもしますよ、が今後の方針になるだろうなあと思っている。そういう意味だと今の会社以外にはそうそう見つからないなという感触があるので、あと5年くらいは同じような仕事をし続けると思われる。

いま書いたことは、3年前にはおそらく到底辿り着けなかったと思う。人間関係は煩わしいし、1人で職人のように働きたい、と感じていたし、自分の感性を使ってアウトプットをし続けたいと思っていた。マネージャーなんて以っての外だろうと。まあそれは結局人間関係に疲れ果てていただけだと思う。自分が調子のいい時は人間関係が良好な時だったし、その人間関係の中で何かしら自分が貢献できるというか、ケアできる何かがあった時だった気がする。一人っ子だし、1人が好きだと思っていたし、鈍臭いから人と一緒に何かやると足を引っ張るからいやだ、と感じていたけど、だからこそ、人間社会に貢献できることに魅力を感じるのかもしれない。本当につまらない人間になってしまった。まあそれでも、今はチームが力を出せている時が嬉しいと感じるし、新しく参入した人が活躍していると微笑ましく思う。くだらねえ。こう思えるのは会社が相当まともだからなんだろう。


充実してるんじゃねえか、という一方で、自分は相応しくないのでは、と思うくらいには求められる水準はかなり高くて、相当勉強が必要だなと感じているが、大学受験の時くらいどうすればいいかがわからない。大学受験の時はどこから手を付けるべきか、何ももわからなくて1ヶ月くらいしかまともに勉強していない気がする。学生には予備校があるが、今の仕事には予備校はない。

今までの人生のアンチパターンとして、こういう時に

  • 勉強法とか、そういうのを調べる
  • 壮大な計画を立てようとする
  • 何をするかも決めてないのになんかしら、その分野の「やり方」を調べる など

っていうのがあって、今まで全部うまくいかなくて、自分は価値のないダメ人間だと、才能はないと、発達障害の疑いがあるからと、そういう風に生きてきて、場当たり的に身につけた能力と知識だけで生きてきたけど、もうそういうのは辞めたいと心底思っていて、今年は何かしら少しでも努力をして欲しいものを手に入れましたねという実感を得たい。

結局アンチパターンをとってしまう背景にはいくつか理由があって、完璧主義と、自分に厳しすぎるのと、効率の良さを追求してしまうこと、禁欲主義が背景にあると思っている。

100点を取らなければ意味はないし、無駄な回り道をしたくないし、やっても結果が伴わなければ愚かだし、苦しくなければ勉強ではない、というのが自分の中にあると思う。楽しいということすら恐ろしいと思っていた。楽しいことをするというのは遊びを意味するし、勉強をしていないのだと。こういう性格は仕事の限られた場面では有効に働くし、実際危機対応や納期の厳しい仕事や長時間労働で自分は実力を発揮していたが、それ以外の平時(しかも9割はそういう時間だろう)は逆に苦しさや無価値感を感じてすらいた。

勉強は楽しんでよいし、回り道をしたとしてすぐに結果が出なくても良い。続けることに価値があるし、やったほうがいい。苦しくてつまらない、と思えることはやり方を変えてもいいし、優先度を下げてもいい。本当に望むことであれば毎日5分でも簡単なことだとしても続ける。負けても良い。

実際、そういう人が高いスキルを持って楽しく働いているし、自分がやりたいと思えることができているように見える。30年近く生きてきて数日前にこれに気づくことができた。自分に厳しくするのは良くないということには昨年くらいにようやく気づいてきたけど、思ってた以上に自分自身に対して毒のように働いていたのかもしれない。実際、これに気づいてから心身が軽い。多分、わかっていてもそのように振る舞うのは難しいし、おとといくらいも自罰的な感情で労働していたくらいなので、自分がやりたい勉強をできたりやりたいことに着手できるようになるのはもう少しかかるかもしれない。

こういうことに気づくたびに自分が受けてきたしつけのことを思い出して、ああいうことさえ無ければなあとは思うが、その分人の苦しみがわかる人間になれたんじゃないですかね。

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結局のところ

他人の物差しに自分の評価を委ねるのは良くないというのは百も万も承知なのだけどもっと「頑張ったね〜」と言われたかった。

実は評価されていたけど自分が受け取っていなかったのか、私が「こんなんじゃまだまだ」という姿勢だったりもっと褒めてくれ〜〜と口に出していなかったのかな〜とは思うけど、もっとフィードバックが欲しかったなあと思う。何度も上司に謝られたり今まで頑張ったねと言われ、その言葉で私の心は成仏し、泣くのだが次の瞬間朝が来て夢だと気づく。

先輩2人に現状について報告したら、「逆に言うと、そんだけぞんざいに扱われるって能力を認められてるってことだと思うんだよね、あの人はできない人には逆にめちゃくちゃやさしい気がする」「あ〜わかる〜」なるほど。私はクソほど生意気で製品の方針でめちゃくちゃ喧嘩もしたのでシンプルに嫌われている線もあるけど。


今の会社で働いていて、

  • あんまり周囲の人と合わない/打ち解けきれない
  • 誰も私を理解してくれない

という気持ちが自分の中にずっと渦巻いていた。それはメンヘラ故に思っていたのが半分と、自分に自信がない故に人が怖かったのが20%、残りは実際周囲に気が合う人はそんなにいなかった、というのがあって、自分と話が合ったり内面を見てくれる数人に精神的にやや依存していた部分があった。上司もそのうちの1人で、以前までは私のことは見てくれていたし、キャリアについても希望を叶えてもらった部分がある。最終的には当人の仕事の振りかたやマネジメントによってメンタルを何度か故障(未遂も含め)することになったので収支はマイナスなのだが。

そういう意味で、今のこの状況に対して、原因のほとんどは職場にあるけど自分にも原因は大いにあると思っている。職場の特定の人間に精神を傾けてしまう自己肯定感のなさ。「この仕事/職場はやりづらい」という原因を「自分の能力がないせい」という結論にしてしまい、こうなるまで退職を選ばなかったこと。

結局、自分が悲劇のヒロインになりたいだけなんだろうなと思う。あとは原因を自分の外に求めるのはダサい・攻撃対象になるという節がある。根っからのいじめられっ子根性である。自分のセルフイメージが「不幸」「だらしない無能」で固定されてしまっている。これを書き換えないと、人間関係での失敗リスクは上がると思う。

私はそこそこ幸せに生きていたところから「地獄」に突き落とされてきた経験が2度ほどあるので、自分の幸せなイメージを描くことが難しい。病気になることや、失敗する映像はいくらでも思いつくのに。あと、幸せのイメージはいつも攻撃されることや転落とセットだ。結局私の人生はトラウマとの戦いだ。傲慢になりたくない、創造性を失いたくないという気持ちが強くてセルフイメージを向上させることに取り組んでこなかったけど、これは私の最大の課題の一つなのかもしれない。


とはいえ、仕事に対するフィードバックが前向きなものも後ろ向きなものも少ない、というのはやっぱり恐ろしいものなのだ。

自分は特にどれだけ人が喜ぶかがモチベーションになるので、その気持ちには寄り添って欲しかったなと、どうしても思う。それはMVPや賞与をもらえれば満足するわけじゃなくて、存在を承認してくれるような場やコミュニケーションが必要だったんだと思う。

でも、私が辞めますと言っても引き止めの言葉は一切なくて、それは私が限界になってしまったからだと思うけど、退職じゃなくて異動はどうかとか、そういう話にも一切ならなくてあっさりと受け入れられた。淡々と手続きが進んでいって、最初からこの会社には必要とされてなかったのかもなあと思った。悲しかった。

次はもっと幸せな自己暗示をかけながら、自信を持ちつつ他人を尊敬しながら働けるような職場を選びたいがどうすれば選べるのか?