2023/9/9 日記

歳をとった。最近は仕事が忙しく、辛く、特段感慨などないが……。

色々書きたいことはあるが、とにかく仕事が辛い。今までも辛いことはあったけど、何となく心のどこかで一過性であることは分かっていたし、じきに自分の能力が追いつくという瞬間があったから耐えられた。

今は、やれどもやれども追いつくことなく要求される水準がうなぎ登りに上がっていく。1年弱くらいこんな感じだろうか。経験したことのないものを、外国語でコミュニケーションを取りながらやる。はっきり言って辛い。私がやってきたのって、システム開発じゃなかったんだと。たどたどしい英語で何度もMTGを崩壊させ、ゴールに辿り着けないまま1時間を終える、というのを何度繰り返しただろうか。

「あれ、ちょっと出来るようになってきたか?」というのも束の間で、小休止している間に堆くタスクは積まれていく。

確かにこれは期待していた状況だ。ここまで”成長”できる会社ってそう無いだろう。慣れきった環境で同じことを繰り返し続ける恐怖よりはよっぽど自分のためになっている。しかし私は心身ともに貧弱なのだ。かなり疲れている。もう無理だなあと思いながら心を殺してやり過ごしている。何か新しいことが始まる度に「自分には出来そうもない」と感じ続けている。実際うまく出来ているとは思えないが、そこまで事故もなくやれている。でも今すぐ誰かが自分の代わりになれるかというとそういうわけでもないので、クビにもなっていない。そういう絶妙な状況。

飛び抜けて優秀な人と働いてみたい、という願いは叶って、自分の限界は今ここらへんにあるんだなということも気づけた。そういう意味では転職の目的はかなり果たせたんだが、思ってた2倍は辛い。

  • 人の入れ替わりが多すぎ
  • 母語で仕事できないのきつい
  • その割には全然サポートがない、想像の1億倍ない
    • 上司よりも営業の人とかから顔色悪いけど大丈夫?みたいな心配のDMが来る、おもろい
  • 法人向けのサービスは個人向けと訳が違いすぎる
  • 数字のプレッシャーがやばい

自分はプロジェクトマネジメント的なことをしているわけだが、そもそも母数が居ないので、この孤独を分かち合える人が少ない、というか分かち合ってる場合でもない、リモートなのでそもそも喋ることもほとんどない。IT業界のマネージャーは人に興味がなさすぎるのでものすごく相談がしづらい。自分のボスはかなり性格が悪くて、そういう弱音を吐ける関係性でもない。まあ彼女もプレッシャーの中で働いているうちにそうなってしまったんだろうと思うが……。私は別にそういう関係性でぐいぐい行けるかというとそういうことも無いので、Twitterに無理だーと書くことしかできない。

まあそこそこ元気な時に働いていればそのドライな状況も耐えられるけど、疲労で気持ちがウェットになっている時に諭してくれたりコーチングしてくれる人が居ればいいのにと思う。

そんなわけでIT業界疲れましたねーという気持ちになっています。でも他の業界の方が理不尽なことが多いだろうということも想像がつくし、無難にこんな感じで生きていくんだろうな。

こうやって疲れていると、社会性とか理性とかのコントロールが効かなくなって、感情的で感覚過敏な自分が出てくる。いかに無理して社会に適応しているか。社会の役に立つより貧しくても自分のために生きたいと思い始めてきた

日記 2023/5/7

Twitterで無痛分娩に関するツイートを見た。オスの人間が、無痛を選択したメスの人間に対して痛みを感じるべきだと説いており怒った、といった趣旨のツイートだった。

その時は特に何も思わなかったが、いま寝る前になって「お腹を痛めて産んだ子」って変な表現だよなあと思った。どう考えたって、家族に対して腹立たしいとか、ネガティブな感情を持ったとして「でもあんだけ痛い思いをしたんだから」という思考が挟まる余地って無いのではないか。こいつマジでムカつくわ、殺そうかな、って思って「自分が痛い思いをして産んだわけだしやめるか……」とか考えないだろ。痛かっただけあってかわいい、というセリフも想像できない。コストや痛みがなければ人を愛せない人間はこの世にいるのか?逆に、痛みがあることで誰かを愛せるようになる人はいるのか?それを人は執着と呼ぶのではないか。

かくいう自分は、やっと最近になって隣人愛という概念がわかってきて、年下の人間は概ねクソガキとしか思えなかったが、最近はチームの若者が楽しそうにしているところすら愛おしいと感じる。あの笑顔を守ることがモチベーションにすらなっている。これは年下がガキじゃなくなっただけで中坊なんかがいるとぶん殴りたくなるのかもしれないし、ただの征服欲なのかもしれない。しかし、自分はすっかり変わってしまった。

コロナ禍の3年はただ引きこもって仕事をして思考をしてということに大半を費やして体感としては1年くらいしか経っていないような気がしていたけど、世界も自分も3年の間にまるっきり変わってしまっていて、最近はその事実に動揺している。というか、働き始めての7年間があまりにも長すぎた。この程度しか成長できていない、という気持ちと違う人間になってしまった、という気持ちとの両方がある。

同年代が中間管理職になるような年齢だし、職場は自分より年下の方が多いし、大人ってクソだなあと言うよりも言われる側になってきて、責任とはどういうことなのだろうと考えることも多い。そうやって追われているうちに流行りの音楽も文化も分からなくなっていて、中年に近づいていることを自覚せざるを得ない。体力や肌艶もそう。

でも、歳をとったことで脳は落ち着き、感受性に多様性が生まれ、人の気持ちが少しわかるようになってきて、楽しめることは昔より増えたかもしれない。全く裕福ではないが金銭的にも新卒の時よりは余裕がある。だから歳を取ることは案外悪くないなと思う。しかし、言い訳できないくらい大人になってしまった。私はこんなにもまだうじうじしているのに……

日記 2023/02/24

自分は感情が激しい方の人間だと思っているが、人と話してて仕事ではむしろ感情を出さないようにしていることと、映画などをみて感情をかき乱されることを非常に避けているなと気付いた。ある種、これも強迫的な、回避的な行動なのかもしれない。私は感情的になることや支配されることをかなり恐れている。

夫に「私は仕事中感情を抑えているように見えるか?」と聞いたらそうだといい、このような様子であると教えてくれた。

作業中:😔カタカタカタカタカタカタ………ハァアア………ムリ……

MTG中:アッハッハッハッ!!!!!

作業中:😔カタカタカタカタカタカタ………アアアア

まあすごく身に覚えがあるなと感じた。 自分の感情を諭されないようにすごく配慮をしているという意識は感じるし、それがふとしたときに急に壊れて怒ったり泣いたりしているような気がする。絶対体に悪い。他の人間はそれを解放するために物語とかを摂取しているのか?

いまさら2022年と自罰的な感情について

2022年はとてもじゃないけどブログを書くぞという気持ちにはなれないくらい忙しかった。

去年は自分にとって変化の年になった。1年前は、会社をすごく辞めたい気持ちと、いやここは踏ん張って何かしらを改善するんだという気持ちが日々交互にきていた。1年後にはこの会社に居たくない、とは感じていたけどまだ転職サイトに登録するとかそういうことはしていなかった記憶がある。あーもう働くのは無理だなとなってからは早くて、十分に休暇をしてからさっさと転職先を決めた。今思えば、その時期は相当に求人があってラッキーだった。私は自ら不幸を選んでいるようなところもあるけど、その分幸運に対しても鼻が利く。転職先も大正解だったし、折れるべきタイミングで心が折れたのも、無意識によるものだったのかもしれないと今は思う。

転職して、まあ3ヶ月くらいしたら慣れるだろうと思っていたが実際は半年くらいかかった。やっと今は無駄に心のリソースを使わなくても会社に行けるようになった。それまでは毎日脳がオーバーヒートしていて、何もわからない、何もわからない、と思いながら毎日過ごしていた。

仕事内容は前とは全く違うとも言えるし本質は同じとも言えるようなことをしているが、今の方が面白さも苦しみも両方強い。苦しみの質が違うので今の方が断然いい。ただし苦しい。それは自分の実力不足にもよるものだが、1年前はずっと同じようなことをしている感覚もあったし、狭い世界にいるような感覚も受けていてそれがひどく恐ろしいという感覚もあった。今は世界の広さも感じるし、自分の能力は下から数えた方が早いなあという意味で安心感がある。加えて、毎月、先月よりはうまくできているという感覚が得られている。


それでも、私はこの仕事に相応しい人間なのかなあと思うことは時々あって、もし次転職する機会があれば、必ずしもこのポジションにこだわる、ということはないだろうなあと思ったりする。転職活動中にそこそこ引き合いがあったのが今の職務内容であり、そのうちに自分としてもこだわってしまって、絶対この仕事しかやりたくない、と思っていた。

それで、いまこの仕事をしているわけだけど、結局自分は仕事内容とかよりも、周りの人を活かすとか喜ばせるとかそういうことに関心があるんだなあということがわかってきた。経営に共感ができて、ある程度職場環境が整っていて、同僚がコミュニケーション可能な人であれば、自分はこの業界のだいたいの現場仕事は、それなりの水準でこなせてしまうだろうと思った。もちろん高い技能を必要とするものは無理だが・・・。結局IT業界は知的好奇心の有無が全てを決める気がする。

まあ、なので、もし自分が役に立てるのなら、パソコンを使う仕事ならなんでもするし、できればチームで働けるところで、なおかつ会社が合っているところであればなんでもしますよ、が今後の方針になるだろうなあと思っている。そういう意味だと今の会社以外にはそうそう見つからないなという感触があるので、あと5年くらいは同じような仕事をし続けると思われる。

いま書いたことは、3年前にはおそらく到底辿り着けなかったと思う。人間関係は煩わしいし、1人で職人のように働きたい、と感じていたし、自分の感性を使ってアウトプットをし続けたいと思っていた。マネージャーなんて以っての外だろうと。まあそれは結局人間関係に疲れ果てていただけだと思う。自分が調子のいい時は人間関係が良好な時だったし、その人間関係の中で何かしら自分が貢献できるというか、ケアできる何かがあった時だった気がする。一人っ子だし、1人が好きだと思っていたし、鈍臭いから人と一緒に何かやると足を引っ張るからいやだ、と感じていたけど、だからこそ、人間社会に貢献できることに魅力を感じるのかもしれない。本当につまらない人間になってしまった。まあそれでも、今はチームが力を出せている時が嬉しいと感じるし、新しく参入した人が活躍していると微笑ましく思う。くだらねえ。こう思えるのは会社が相当まともだからなんだろう。


充実してるんじゃねえか、という一方で、自分は相応しくないのでは、と思うくらいには求められる水準はかなり高くて、相当勉強が必要だなと感じているが、大学受験の時くらいどうすればいいかがわからない。大学受験の時はどこから手を付けるべきか、何ももわからなくて1ヶ月くらいしかまともに勉強していない気がする。学生には予備校があるが、今の仕事には予備校はない。

今までの人生のアンチパターンとして、こういう時に

  • 勉強法とか、そういうのを調べる
  • 壮大な計画を立てようとする
  • 何をするかも決めてないのになんかしら、その分野の「やり方」を調べる など

っていうのがあって、今まで全部うまくいかなくて、自分は価値のないダメ人間だと、才能はないと、発達障害の疑いがあるからと、そういう風に生きてきて、場当たり的に身につけた能力と知識だけで生きてきたけど、もうそういうのは辞めたいと心底思っていて、今年は何かしら少しでも努力をして欲しいものを手に入れましたねという実感を得たい。

結局アンチパターンをとってしまう背景にはいくつか理由があって、完璧主義と、自分に厳しすぎるのと、効率の良さを追求してしまうこと、禁欲主義が背景にあると思っている。

100点を取らなければ意味はないし、無駄な回り道をしたくないし、やっても結果が伴わなければ愚かだし、苦しくなければ勉強ではない、というのが自分の中にあると思う。楽しいということすら恐ろしいと思っていた。楽しいことをするというのは遊びを意味するし、勉強をしていないのだと。こういう性格は仕事の限られた場面では有効に働くし、実際危機対応や納期の厳しい仕事や長時間労働で自分は実力を発揮していたが、それ以外の平時(しかも9割はそういう時間だろう)は逆に苦しさや無価値感を感じてすらいた。

勉強は楽しんでよいし、回り道をしたとしてすぐに結果が出なくても良い。続けることに価値があるし、やったほうがいい。苦しくてつまらない、と思えることはやり方を変えてもいいし、優先度を下げてもいい。本当に望むことであれば毎日5分でも簡単なことだとしても続ける。負けても良い。

実際、そういう人が高いスキルを持って楽しく働いているし、自分がやりたいと思えることができているように見える。30年近く生きてきて数日前にこれに気づくことができた。自分に厳しくするのは良くないということには昨年くらいにようやく気づいてきたけど、思ってた以上に自分自身に対して毒のように働いていたのかもしれない。実際、これに気づいてから心身が軽い。多分、わかっていてもそのように振る舞うのは難しいし、おとといくらいも自罰的な感情で労働していたくらいなので、自分がやりたい勉強をできたりやりたいことに着手できるようになるのはもう少しかかるかもしれない。

こういうことに気づくたびに自分が受けてきたしつけのことを思い出して、ああいうことさえ無ければなあとは思うが、その分人の苦しみがわかる人間になれたんじゃないですかね。

保護中: 7/10 日記

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